「人生の残り時間が短い僕は社会奉仕の尖兵になるつもり」 | あざみの効用

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或いは共生新党残党が棲まう地

『「都市政策」の中心的特徴は、「まずなによりも平均からの格差が明らかであるような統計的基準にもとづいて「優先度が高い」と規定された都市地区に目標付けられた特有の措置、手法、実践の総体にある」とされる。』

               宮島喬「移民社会フランスの危機」

Rentier葉月 参議院選挙候補者インタビュー4より抜粋

―まずお伺いしたいのは「なぜ、今、政治の世界へ?」ということです。

黒川
>この50年、僕は建築家として生きながら、ボランティア活動を続けてきました。人生の残り時間が短くなってきて、社会奉仕の尖兵になりたいという気持ちがますます強くなっている。けれども、「東京をこう変えたい」「日本をこう変えたい」ということになると、ボランティア活動では限界があります。

―どのような活動をなさるおつもりで?

>まずは選挙。選挙は、党の終わらざるスケジュールですから。さしあたっては参院選で、いずれ衆院解散がある。4年後にはまた都知事選挙がある。僕自身は、そのあたりまで活動を続けていくつもりです。自分が元気なうちに党をレールに乗せて、いつでも後進に託せるようにしたいと思っている。

後進に託すなんと最近聞かない言葉か!後進、未来即ち若者を信頼すればこその言葉です。

>で、共生新党が目指すのは、名前が示すとおり「共生」です。都市と地方の共生。身障者と健常者の共生。自然と文明の共生。世代の共生。外国との共生。これはすべて、互いに尊重することから始まる

当たり前のことなのに、なんでかな…こんなにも懐かしい印象を受けるのは。選挙(活動)といえば負の感情を利用したものばかりを目にするようになったからでしょうね。

―東京と地方には、どのような共生の道があると思いますか。

(中略)

>今はこれだけ高速道路網、鉄道網が出来上がっているから、巨額のカネがかかる、ということもない。首都機能移転で一番カネを食うのは、インフラ、とりわけ鉄道と高速道路の建設ですから。

ただ那須にはさすがにあまりインフラが整っていないように見えますが…環境省だし青空に机並べればいいですね♪

―もしも首都機能が移転したら、東京はどうなりますか。

>仮に半分を移転すれば、霞ヶ関の半分は空き地になります。そこにコンドミニアムを300棟つくる。5階くらいの建物を、中庭を囲む形で並べていくんです。中庭は子どもたちの遊び場、住人の交流の場になる。家賃は3LDKで6万円くらいにして、誰でも住めるようにする。

なんか目を瞑って想像するだけでとても幸せな光景が浮かびます。

>ご存知のとおり、都心部は夜間の人口が減少する。これでは地域ぐるみの防災・防犯対策がうまくいきません。都心にこそ、誰でも住めるエリアが必要なんですね。高層ビルを建てなければ土地の有効利用はできない、というのは錯覚です。高い建物には日照権の問題があって、周りの土地を有効利用できないケースが多々ある

再開発=高層化という流れに痛撃ですが、言われてみればもっともです!高層化におけるメリットとデメリットが釣り合う均衡解がどこかにあるはずですね。

―現在建設が進んでいる環状道路についてはどうお考えですか。

>首都高を介することなく繋がれば、都心の交通量は確実に減る。ですから、環状道路はいいと思いますよ。ただし、今のままではダメ。理由は簡単で、中心部を再開発しているからです。東京ミッドタウン、六本木ヒルズ、汐留シオサイト。そういう場所に向かう人やモノの流れは環状線があろうとなかろうと変わりません。再開発をやるなら、環状道路沿いでなければならない

これまた正論です。渋滞を緩和するには中心部から人を剥がさないと。

今の都市計画では、車社会が前提になっています。中心に超高層ビルを作って、路地は潰していく。おかげで子供たちは、道で遊べなくなったし、地域のコミュニケーションも消えていく方向にある。これではダメです。中心部には低層住宅や緑地を。再開発は環状道路沿いの郊外で。ごく簡単に言えば、これが僕の都市計画です。

子どもにもっと外で遊べとか無責任に言う連中とはまるで違いますφ(..)メモメモ。

―半年で二回の選挙戦。お体は大変なのでは?

>僕が手がけている建築作品、都市計画は、世界50ヶ国にある。飛行機で10時間以上かけて、時差のあるところを行ったり来たりしているわけです。たしかに選挙は大変ですが、選挙があろうとなかろうと、僕の毎日は大変なんですよ(笑)。

明るい♪


以下 ・・・・・・。

黒川氏「死期早まった」…食欲なく貧血で車いす姿も
>共生新党の若尾文子氏(73)=比例代表=が26日、小学校から高校まで過ごした仙台市で個人演説会を行った。夫の黒川紀章氏(73)=東京選挙区=とともに壇上に上がった若尾氏は「終戦を境に5年ほど仙台で過ごした。第二の故郷です」と語った。当時は友達が少なく、県立図書館で読書ばかりしていたという若尾氏は「(読書が)知らず知らずのうちに私の今の土台を作ってくれた」と振り返った。その後は仙台市内を精力的に遊説。仙台駅前では取材に訪れていたフジテレビの中野美奈子アナウンサーと話している最中、聴衆が若尾氏ではなく、中野さんに握手を求めるハプニングも。

>一方の黒川氏は演説で「もう覚悟はできた。無理がたたって、死期が早まっている。『死ぬ前に少しだけでもいいことをした』と言われれば本望」と壮絶な覚悟を披露。だが、若尾氏が遊説する間、ホテルで待機し、現地を離れる時刻になると車いすで駅へ。自らの体調について、黒川氏は無言を貫いたが、若尾氏は「物を食べれず貧血の状態。心配です」と気遣っていた。(2007年7月27日 スポーツ報知)


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