回転ずしなるものが誕生して久しいけれど、何故か縁遠かった当家である。
一番の理由が、気分をそそる大手のお店が身近になかったからだと思う。
ちょっと前に母にせがまれて行ったスシロー。あそこも、ある意味便利だし不便だ。
結局、別にお寿司を食べるだけの外出って・・・。
お寿司を食べる前後のイベント。これが不便では生活的ではない。
ところが、通勤の道筋に「スシロー」が誕生した。
JR荻窪の駅前♪食事の前後は充実。
本日、真新しいスシローに行ってまいりました。
ちょうど厨房の声が良く聞こえる席におりました。
どうも、日本の人ではない人が多い現場のようです。
どこもそうかな・・・?!
が、今は指導期間中なのかもですが、前行ったスシローに比べてシャリの握りが微妙でした。
思えば、これから外国人雇用のあり方が変わるようですね。
一番変わりそうな介護の現場を間近にしています。
こんな「解禁」という言葉の前に、すでに外国人の人と共に働いた事もあります。
ある人などは、中国で看護師をされていて管理職をされていたけれど、
日本の資格取得が出来なくて看護助手をしていた方もいました。
日本の資格取得について、
彼女曰く、「去年だったら大丈夫だったけれど、制度が変わった」と何年も前の事ですが言っていました。
こういう狭間な人は可愛そうですね。
しかし、基本的に受け入れようという国々の方は民族的にのんびりしている方が多いです。
日本に来て日本人と同等゜に見えるように働いている姿は、たぶん彼らにとって100倍頑張っているのでしょう。
彼らにとって100倍努力しないと日本人とは同等ではない。これは差別でなく現実。
日本人がいかに今まで勤勉であったかの証です。
その勤勉さで成した日本です。それを失って欲しくないなぁ。
たぶん、人手不足の職場に、採用された外国人はきっとちやほやされるのだと思います。
しかし、そこで勘違いされてはいけないのだと思います。
日本人が求めているのは「勤勉さ」である事を。
だから、ちやほやしたい気持ちをぐっとこらえるべきです。
もともとがのんびりした人種の人でも、教育次第で勤勉になるのです。
日本で働く外国人にも勤勉さを求めましょう。
猫の手ではなく、人の手であるように教育しましょう。
しかし、労働者として外国人がきちっとしちゃうと、チャライ日本人の受け皿が亡くなる。
みんなが求める一流企業に努められる人なんて限られた人なのに、
落ちこぼれた人はどこに行ったんだろう。
落ちこぼれた人がいそうなところには、片言の日本語を話す人ばかり。
昔は、落ちこぼれた人も社会に出て・・・なんて話があったけれど、今は、いったん落ちこぼれると落ちこぼれたまんまなのかな。
どう生きているのか不思議。