五月三回目のお稽古@のち合わせ稽古・・・そしてこれらは昨日の事です。 | fuyusunのfree time

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長唄などの邦楽をこよなく愛する看護師のfuyusunです。
ナースの仮面を脱いだ、fuyusunの日常を綴っています。

昨日はお休みでございました。

そして、午後はお稽古。そして、夜は合わせ稽古ととってもハードな一日でもありました。

 

お稽古。
本当は楽器を近くのコインロッカーに預けて、身軽に師匠宅に伺う予定だったのですが・・・。なんと、最寄り駅のコインロッカー!小さいところばかり。ちょっと大きな荷物用のロッカーがない!!

という事で、楽器を持って師匠宅に。

 

太鼓は『供奴』のお浚い。この後の合わせ稽古がある事を知った師匠。「じゃあ、一応浚っておこう」という事になった。

優しい師匠である。

全体的にOKのお墨付き。が、細かなところでダメ出し。

豊後下り端という手のご指摘。独特な手組なのですが、

「次の手を予測して待っている」というポーズが師匠の「こりゃいかんわ!」センサーに引っかかってしまった。

実は、こういうスタイルにしたのは、師匠の舞台を拝見して・・・。ちょいと師匠を真似てのつもりだったのですが・・・。タイミングの取り方が素人なので「待っている」という感じにとらえられてしまうのだなぁ。

芸というものの難しさを感じる注意でした。

あの流れるような師匠の所作が好きで一生懸命に研究したのですが・・・。本当に難しいです。

全体的にOKという評価をいただきましたが、

撥でリズムをとっているとか。。。色々と細かな点で今までご指摘いただいて、なかなか治らないのです。困ったものです。

 

小鼓のお稽古。『菖蒲浴衣』をサラッと浚って・・・。意外と覚えていて吃驚。で、『藤船頌』を浚おうかと提案がありましたが、この曲の場合は少し下準備が必要という事で『綱館』を浚う事になりました。

トッタンはけっこう覚えていますが・・・。やはり山尽くしのあとのチリカラなんて・・・ぜんぜんです。

でも、なぜか過去にお稽古した時に色々教わった事の師匠の声が聞こえます。

 

 

三軒茶屋から大田区の嶺町に移動。

嶺町には父方の親戚が以前住んでいました。

不動産業を営んでいて、田舎者の新婚が状況するにあたって、身内が近くにいる事が望ましいという事で、両親はこの近くの御嶽山に新居を構えました。

当時、超高級のアパートだったらしいです。

私は、母のお腹の中で超高級住宅地の生活を楽しんでいたようですが、、、

「やっぱり、私たちには分不相応の生活よね」という事で早稲田に引っ越した。という事で私は早稲田で生まれた。

そうそう、小学校に入る前に嶺町の父にとってのおじさんが亡くなってお葬式に行った覚えがある。

そこのお兄さんが新幹線の見える公園に連れて行ってくれたりと色々覚えているんだけれど・・・。この土地の事はぜんぜん覚えていない。

 

東急池上線。

看護学校は昭和大学の付属だったので、この沿線の旗の台は馴染みの駅である。

でも、五反田の駅が嫌い。という事で、池上線ではなくて大井町線をずっと使っていました。なぜか大井町線が好きなのです。

今回も三茶から二子玉に出て、大井町線から旗の台で池上線に乗り換えるというコースを選んだ。(帰りは速く帰りたいので、五反田経由しました)

旗の台は本当に懐かしい駅。私にとって聖地に等しい。

卒業式以来ですから、もう十数年経っている。

街の様子はぜんぜん変わっていない。

が、大井町線の駅がホームが超立派に。吃驚して、池上線も

変わったのかとドキドキしたら、ぜんぜん変わっていなかった。

なんか、学生当時から駅改造の工事を匂わす感じだったのですが、今もそんな感じ。・・・なぜでしょう・・・

 

しかし、合わせ稽古・・・。

非常にローカルな場所なんですけれど、私にとって非常に懐かしさを感じるところばかり。これも縁なのですかね。

 

六月四日。成城ホールにてご披露する『供奴』も着実に仕上がっております。

あとは下浚いのみ!かんばろう。