最近、この手の本をよく目にする。
患者さんの一人がせっせと書いているのを目にして、こういう本がある事を初めて知る。そして、意識して陳列を眺めるようになって、この種の本がたくさん出版されている事を知った。
人ひとりが亡くなる事って大変な事である。
尊い身内の死を悲しむ時間も猶予はない。財産を持っている人ほどそうであろう。
ちょいと金持ちでも、身内とのコミュニケーションが悪かったりすると、思わぬところで思わぬ躓きに出会うものである。
銀行口座はどことどこに持っていて、有価証券は何処何処にしまっていて所有数はこんだけとか・・・きちっと残る人に伝えておいてほしいと思われる。
家族が知らないところに、日陰のこどもがいたり・・・
そういう事も面倒となる。
たった一円の銀行口座を解約するにあたって、財産相続放棄の署名を持ってこいとかになる。普段、全く知らないところに相続の権利を有する人がいちゃったりすると本当に本当に大変。その人を見つけるだけでも一苦労したりする。
さて、このノートは、
自分の人生のエンディングを自分らしくどうありたいか、身内に知らしめるものでもある。
もし、自分が生死に関わる病に達した時、自分はどうしたいか身内に伝える事は大切だ。
自然に任せて逝かせてくれと思っているのに、徹底的な救命救急の処置を施され、生きているんだか死んでいるんだかの状態で行かされている状態にされるという事は不本意な事である。
しかし、不運なケースを目の当たりにした。
この方は就活ノートに「もしもの時」の身の処し方を記した素晴らしい人てある。
「もしもの時は積極的治療は望まない」と記す。
もし癌であれば終末期はしっかり痛みのコントロールをしてほしい。でも、脳血管障害の場合はとにかく何もせずに自然に対処してほしいと希望を書いていていらっしゃった。
が・・・
皮肉な事に、この方は突然倒れて救命救急センターに運ばれてしまいました。
そんな就活ノートの存在など分からなぬうちに、
「脳梗塞」と診断されて、救命処置をとられてしまいました。
一度生きるために治療を開始されたら、
「私は自然にしてほしいのよ」という希望は通りません。
何故なら、この治療をやめたらこの人は死んでしまう事を分かっていて治療を中止する事はわが国においては「殺人」になってしまうからです。
たぶん、今のような状況を予測して、この方はナチュラルを選択したのだと思います。
寝たきりになって、何も分からない状態。
鼻からチューブを入れられて、食事はそのチューブを通じで栄養物を流されている。排泄も失禁状態・・・。
癌は進行性の病気なので、すぐそこに死が待っています。
が、
脳血管疾患というのは、癌のように短期決戦ではないのが難点。
例えば、六十代でこのような状態になって、
今の医療は発達しているので、下手をすると延命的治療をしなくても、こういった状態で九十歳、百歳と生き延びる事ができます。
その人の寿命ですから、寿命を生き抜くしかないのです。
例えば、その方の寿命が百歳としたら・・・
四十年近くも、意に反する姿で生きながらえなくてはいけないのです。
やっぱり、そう願うなら・・・
普段からその願いを身に着けているべきです。
例え救命救急の現場でも、本人の意思に反した治療は行われないはずです。
が・・・。その瞬間から、受け入れ先を求めての難民となる事は確実。
なかなか難しい事です。
私も、いざという時は「自然に死なせてほしい」というのが希望です。
もし癌だったら、この方同様、痛みのケアは行って欲しいと思っています。
いざという時の事・・・
やっぱり書面で書き留めておかないといけないなぁ。そして、それを常に身に着けておかないといけないなぁ。