本日は夜勤明けでした。ネムネム。一時間ばかり仮眠をとってのお稽古でしたが・・・やっぱの眠い。頭がボーっ!
ボーっとしているお稽古はお稽古をしているきがしません。集中力不足で師匠には大変申し訳ない事をしたように思います。
締め太鼓。当初は違う曲が予定されていた。なので前回お稽古した『廓丹前』なんてすっかり頭から抜けていた。つまり、一夜漬けでテストが終わったら全部忘れているのと同じです。
ところが、やっぱり・・・。と『廓丹前』を続けることに。かなりやばい。たった一週間なのに、どんな曲かも忘れている。
来週は、この曲で一番難しい(私的評価ですが・・・)踊地のところだ。きちっと勉強してからいかないといけないなぁ。
小鼓は『勧進帳』。部分的に二度ほど演奏しているので、その部分は覚えている。
去年の秋も一調で臨んだこの曲。超カットバージョンだったなぁ。
という事で、いつも飛ばされちゃうところは、ぜんぜん覚えていない。
が、
二十年以上前から、今藤長之氏と芳村伊十七氏の楽曲で、亡くなった大皮の師匠がこの曲を演奏していて、ずっと昔から「憧れ」を持って耳にタコができるほどに聞いていた。
けっこうそれが影響していて、何気に手が部分的に出てくる。
全然違う楽曲を聴いているのに、あのおなじみの楽曲で亡くなった前師匠の大皮の声が聞
この『勧進帳』は、大皮の師匠から超スパルタでお稽古した記憶が一杯。「そんなんじゃ関所は通れない!」「弁慶は命を懸けているんだよ!おめえも命かけろよ!」などなど。
張り扇や拍子木が飛んできたのを覚えている。
それが身に染みている。だから、全然違う楽曲なのに、なぜか長之&伊十七氏の楽曲が聞こえてくるし、そこで演奏している亡くなった師匠の声が「あのお稽古」の時の声が聞こえる。
どうしてなのかなぁ・・・。
『勧進帳』に限っては、どなたが演奏しても
私のハートにはあの楽曲の音に塗り替えられて聞こえている。そして、どなたが大皮をやっても亡き師匠の大皮が聞こえるのです。本当に病気。
人生で『勧進帳』を唯一満足に納められたら、お囃子人生の卒業と思っています。
まだまだ、幼稚園で安心しました。いやいや、保育園のゼロ歳児クラスかな?