今日は夜勤明けでした。
とある患者さん。
脳血管障害が基盤。気管切開をされていて寝たきりの方。
すぐに何かにしがみつくような反応は見せるのですが、声を掛けてもあまり反応は無いし、私としての認識では何も分からない人と思い込んでいました。
昨日は、呼吸が穏やかな割に、私の安心の裏をかいて、不意打ちに痰の吹き出し・・・。
けっこうこの方はこういう事が多い。ゴロゴロしていないのに、あの痰はどこから湧いたのか不思議。
寝衣が汚れたので、日勤に渡す前に綺麗にという事でお着換え。
「○○さん、お着換えしますけれどいいですか?」
分からない人でも、その方の「人」としての尊厳を尊重する事で何をするのでも声を掛けるというのが看護師としての基本です。
ですので、全く患者さんの反応など期待していませんでした。
ところが、気管切開しているので声が出ないのですが、頷いたのですよね。吃驚でした。
この人。。。分かるんだ!
今まで、分からない人と思い込んでいたから吃驚でした。
色々手が出ちゃうのは怖いからというのは、ずっと分かっていたのですが
改めて「怖いのね。でも、私たちが支えているから大丈夫」と声掛けしました。
頭が上がります。右に向きます。左に向きます。
ずっと説明しながらお着換えしたら、いつもより楽々にできた。
ああ、この人は全部わかっているんだ。
分からない人である事を前提だったから、声掛けも必要最小限だったけれど・・・。
だから、患者さんは「何をされるかわからない」という恐怖で、何かにしがみつこうという反応を見せるのてすね。
お着換えをして、
「終わりましたよ」と手を握って言ったら、握り返して来た。
・・・ちょっと感動。
で、去ろうとしたら、私を行かせまいとさらに強く私の手を握ったのに吃驚。
寝たきりで、普段あまり反応を見せない患者さんは「分からない人」と思い込んじゃいますが、
それは思い込み。実は分かっていて、私たちの説明不足で「恐怖の塊」に追い込んでしまう。そして、その反応で変な事をするので私たちは「問題ある患者さん」と認識しちゃう。悪循環。
「言葉にする事はできないけれど、私は分かっているんですよ」
そういう声を聞いた気がする。
今までこの患者さんに対して、どうせ「分からない」で説明を必要最低限で機械的に看護していた私を反省させてくれた。
改めて、どの人にも基本に忠実に看護をするという事を感じさせられた。
ありがとう○○さん。