平成二十八年度新春舞踊大会 | fuyusunのfree time

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長唄などの邦楽をこよなく愛する看護師のfuyusunです。
ナースの仮面を脱いだ、fuyusunの日常を綴っています。



今年は、例年に比べてお正月が短かった。あっという間に、変わらぬ日常が戻ってきた。

私なんぞは、大晦日も元旦も仕事だったので、

どこか新年を迎えた気分になれない。

「電車が空いているなぁ」くらいにしか感じない。


けれど、新春舞踊大会が。これのおかげで、

「ああ、新しい年を迎えたんだなぁ」という気分にやっとなれた。

今年は、ネットで知り合った舞踊家の方が踊られるという事で非常に楽しみにしていました。

彼女のお師匠様は素踊りの名人の方でした。

その彼女が素踊りで清元『梅の春』を踊られた。

いやいや、人形ケースから飛び出たくらいに綺麗でした。そして、踊りの方も、角々がピシッと決まっていて素敵な踊りでした。

なかなか、角々がピシッと決まるというのは難しい事のようだ。こういう舞踊会にご出演の方々は大勢の中から選ばれた方々である。それなのに、なんか今一つだなぁと思われる方は、この角々のしまりが今一つな気がします。

『島の千歳』から始まりました。

「演奏の時と舞踊の時は違う」と師匠がおっしゃいましたが、何気に分かる気がしました。

演奏方のみんなは縁の下の力持ち。すべてのコンダクターは立ち方にある。

日本の音楽は指揮者がいない。が、息がぴったり素敵なハーモニーが生まれるのは、やっぱり芯となる人がいるんですよね。

この曲は小鼓のための曲ですから、基本的に小鼓が主役でしょう。けれど、時と場合によって、唄が芯となったり三味線が芯となったりする。・・・日本の音楽の面白いところです。

けれど、それは演奏の場合。舞踊の時は舞踊が主導権を握っている。たぶんそうなんじゃないかなぁ。

次の演目は清元『流星』でした。雷の夫婦と子供とおばあさんの四役を角のついている被り物を変えるだけで演じ分けるという面白いもの。なかなかうまいなぁと思ったら、昨年の大会で大賞をとられた方でした。一ついうなら、老婆がちょいと色っぽくて年寄りじゃなかった。かな♪

長唄『玉取蜑』という作品。

志度の蜑が、我が子の出世と引き換えに、命を捨てて龍神から宝珠を取り戻したという伝説がもとになった曲なのだそうですが、さっぱり分からない曲でした。

何か、最初の部分が『官女』に似ていたので、プログラムが変更になったかと思いました。

たぶん、この手の曲は、亡き藤間紫氏が上手かったんでしょうね。そんな気がします。

ひそかに楽しみにしていたのが『まかしょ』でしたが、舞踊的に期待していたほどのものじゃなかったなぁ。

曲自体を聴いていると楽しいのですが、そのウキウキ感が視覚的情報が入っちゃうと薄れちゃう・・・そんな気がしました。けっこう難しい曲なのでしょうね。

長唄『外記猿』は素踊りでした。なかなか上手な青年。見た感じ、宝塚の男役のような男性でした。

見た目がまずまず良いので許せちゃいますが、素踊りは本当に難しいと思います。

せっかくの新春舞踊大会という華やかな舞台なので、男性の素踊りは寂しいな。

女性の素踊りは地味ながらもお作りするけれど、男性はほとんどすっぴんですからね。


まあ、いろいろありましたが、

今年も綺麗な舞踊を正月から見ることができました。感謝感謝です。

今年も、いっはい素敵な音楽や舞踊にせっする事がてきるといいなぁ。