歴史を尋ねて-理性寺- | fuyusunのfree time

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長唄などの邦楽をこよなく愛する看護師のfuyusunです。
ナースの仮面を脱いだ、fuyusunの日常を綴っています。


西永福にある理性寺に行って来た。
ここには『花の友』を作曲された、初代杵屋杵屋三五郎氏のお墓があります。
今度、夏の会に『花の友』を唄うのでお参り行って来ました。
このお寺、ちょっと距離はありますが徒歩圏内。それも以前勤めていた病院の近く。この境内を通って行くと近道だったので、当時、日々この境内を通っていました。ここにこんな偉大な方のお墓があるなんて知りませんでした。
ここには、「火伏せの大黒」という、なんと日蓮御聖人自身が彫られたという大黒像が祭られている。
幕府御殿医であった木村検校という方が奉納したものだそうです。近隣で火事が起きた時に、この大黒さんが現れて大きな団扇で火を仰ぎ寺の類焼を防いだという言い伝えから「火伏せの大黒」様なのだそうです。
本日は御開帳していなかったので拝見できませんでしたが・・・
何気に昔、拝見した事があるようなないような記憶があります。

残念ながら大黒様にはお目に掛れなかったのですが、可愛らしい恵比寿様とはお目に掛れました。






境内に入ると、すぐに洗い観音様が♪
巣鴨の高岩寺のものが有名ですが、こんな身近なお寺さんにもあったなんて吃驚です。
気になる部分をゴシゴシさせていただきました。



さて、目的の初代杵屋三五郎氏のお墓は発見できなかったのですが、

三五郎氏が建立した糸塚がありました。達筆すぎてどんな詞が書かれているか読めなかったのですが、

この方は俳句もお得意の方だったらしいので、きっと素敵な句が書かれているんだと思うのですよね。読めないのがとても残念でした。

そのお隣に杵屋吉三郎という方の糸塚も並んでいました。

こちらは読めましたよ♪

「その昔の初音の人の 埋木に花咲きかえる 春となりけり」

とっても綺麗な句ですね。


初代杵屋三五郎氏は、うちの流派に伝承されている『おしゅん』とか『お通半七』の作曲者。

これらは稀曲なので馴染のない曲なんですが、
『花の友』と『屋敷娘』はけっこう馴染のある曲です。
今、この三五郎という名前は絶えてしまったようです。

そうそう、調べていて面白い事を発見。
研精会を創立した稀音家淨観は二代目。お父様の杵屋淨観が初代。
この初代の淨観は初代杵屋六四郎の門弟だったらしい。ある時、三世杵屋三五郎の跡取りという事で六代目杵屋三郎助となる。でも、何故か三五郎ではなくて、四代目杵屋勘五郎を襲名。そして、その襲名から六年後に淨観を襲名する。

二代目の淨観は吉住小三郎氏とともに研精会を立ち上げた超有名人ですね。

杵屋三五郎が何代まで続いたのか分からないのですが、きっと初代淨観が名前を継がなかったから絶えちゃったのかもですね。
しかし、三郎助って、杵屋六左衛門系の大事な名前ですよね。三五郎を襲名する前に三郎助って・・・。

三五郎という名前はそんな大きな名前なのでしょうかね?!

資料なさすぎで分かりません。ご存知な方がいらっしゃったら、ぜひぜひお教え下さい。



さて一杯歩いたのでお昼はちょっぴり糖質を♪
カツはパン粉が付いているので、本当は糖質オフには良くない食べ物なんですが・・・。
でも美味しそうだったので食べちゃいました。

美味しかったですよ♪