『関三奴』のような曲は本当に覚えにく。また、身に染みにくい。
師匠の手元に山ほどある附けの数に吃驚した。同じ曲なのに・・・。
つくづく仰っていましたが
「この曲はその都度違う。だから、こんなに附けがあるんだな」と。
今日やった『関三奴』。今日は正解でも明日は間違い。そんな不思議な曲なのである。
その都度寸法が変わったり、色々が変わる。
似て否なる手組が一杯あるわけである。
バレエのような洋舞は、作曲者の作った曲があって振りがある。つまりマスの容量が決まっていて、それに納まるように振りつけられる。
しかし、長唄のような和物は踊りが主体。振り付けによってマスの容量が大きくなったり小さくなったりする。そして、その振りによって表現が変わったりする。
その代表が、この曲だな♪
たまたまこの曲を勉強するはめ(?!)になったけれど、しかし、今度どこかの舞台でこの曲を耳にすることがあっても「全く違う」手組という事がありえるわけである。
そんなの勉強する価値があるのかと問われるかもしれないが、
私にとっては財産である。
なんでも「決まっている」。それがお囃子でない事をまざまざ気づかされたのですから。
しかし、楽しい・・・が、覚えられない苦しみがある。
今まで、はんにちれば覚えられると自負していたけれど・・・。そんな私にも苦手な曲があった。
お囃子の世界は深い。お前の思っているほど簡単な世界ではないのだという事をまざまざ見せつけられている。
曲に負けずがんばろう。とにかく頑張ろう。