“辻打ち”というのは、お囃子の太鼓の手法で、
見世物小屋・広小路・宮地等の盛り場、神社境内、水茶屋の場面、花見、猿廻しの出に用いられる。
「天天天天、テレン」という打ち出しから、あとは軽快なリズムが表現される。
頭と終わりの「天天天天、テレン」まではお決まりで、あとは曲によって違う。
今まで出会った曲の中でも、『外記猿』『靱猿』『喜撰』『桜狩』などに出てきていた。
そうそう、これらの曲をお稽古して、いつも躓いているのがこの“辻打ち”だった。
お神楽系の細撥ものや、こういった辻打ちのような軽快なものが私は苦手である。
打っていて、とっても楽しいのだが、警戒心の強い私ははじけきれないのですね。壊れちゃっていいのに、どこかで「破壊」に対する恐怖がブレーキをかけてしまうのです。
「きちっと打とうとするから、手があっていてもそれらしく聞こえない」
いつも師匠から言われてしまう言葉です。
さて、
『漁樵問答』にも、この辻打ちが出てきます。
が・・・この曲の場合、なぜここに辻打ちがあるのか不思議なところに出て来る。
舞台背景を想像すると、この辻打ちの似合う背景が思い浮かばない。なのに、何故ここに辻打ちが・・・。
ふと歌詞に目をやると
「呑んでみざる猿酒なり」・・・・。まさか・・・、きっと、そのまさかのこじつけ。
かなり柔軟な頭脳でないと、
「ここは辻打ちにしよう」なんて思いつきませんよね。作調者に尊敬の眼差しを送っちゃいます。
なかなか、この曲の辻打ちがクリアできなくて、本当に悩みました。
で、もっと辻打ちをやりたくて、次回の選曲に『都風流』を選択しました。「打っている方が、恥ずかしくなっちゃうくらいに長い辻打ちのある曲」なのだそうで。ここでバッチリ辻打ちを理解したかったのであります。
そもそも、辻打ちというのは、太鼓一挺のものでアドリブでやるものなのだそうです。
お手本的手はあるようですが、別に何を打ってもいい。
普通は、笛との関係や御簾内との兼ね合いがあって、自分勝手をすると人様に迷惑をかけてしまいます。
しかし、一挺というのは、メロディーから逸脱しなければ、だれにも迷惑をかけないのです。
しかし、誰にも迷惑をかけないの裏返しは、自分でその責任を取れる実力を持つという事で、かなり高レベルな事だ。
初の都風流は週末か。
いやいや、初っ端の屋台正天から躓きそうな予感。お初のサワギも・・・。ってことないのですが難しそうです。
がんばろう。