何を着て行こうかが、まず第一の悩み事である。
洋服でも暑い。何を着ても暑い。ならば見た目の“涼”をと考えて絽の着物にした。絽と言ってもポリですけれどね。
しかし、昨日は夕方あたりに雷マークが付いていたので、
ちょっとお天気が心配でした。
「いつでもバケツはひっくり返しますわよ」と言いたげの重い雲。
ドキドキでしたね^^
本当に雨に遭遇しなくて良かったです。
さて、お稽古は小鼓も太鼓も『漁樵問答』。本当にこの曲は何て事のはない曲に聴こえるけれど難しくて、頭がグルグルする曲です。ノリが難しい。
冒頭の道行止め。三味線の付きどころが難しい。たぶん、曲の聴き込みが足らないからだと思うのですが難しい。そうそう、お三味線を口三味線で覚えなきゃいけないのですが、それがなかなか難しいのであります。
メジャーな曲というのは、曲に馴染んでいるから、手もスッと入って来るんですよね。しかし、馴染のない曲と言うのは、頭から入るからなかなか身にならないのですね。勘の悪い私は、もう何百回も曲を繰り返して聴かないとダメなんです。
さて、この曲の難解は、小鼓よりも太鼓です。
とにかく、苦手でどの曲でも引っ掛かる、「唐楽」という手と、「辻打ち」という手組が入っている。
いつも泣かされるこの二つの手。
「唐楽」は太鼓的に言えば、「長地」と一緒。なぜ同じなの別名が付いているか・・・。笛が違うのですね。
長地は神舞の二段目とかに出てきます。
唐楽は『新曲浦島』とか『七福神』とか、海っぽい曲に出てきます。
まあ、とにかく出会うたびに頭が混乱する。
口唱歌で言っていることを、手で表現すればよいのですが、言葉通りに手が言う事をきいてくれないのですね。脳の中の命令系統が混線してしまう。ようするに不器用という事ですよ。
不器用な人はとにかく練習あるのみ。その手が身に付くまで繰り返し練習。
・・・しているんですよ。でも、毎回躓くという事は詰めが甘いという事ですよね。毎回の如く反省しています。
辻打ち。これも難しい。
唱歌を覚えて、それを表現する・・・で精一杯。しかし、この辻打ちは軽快なリズムの表現が求められる。
ただ、言葉通りに打てばいい訳ではないのである。
師匠の撥さばきを見て、こんな風に打ちたいと目標に持つ事はとても良い事なのだが、
それを真似られる技量が私にはない。「あの部分はどうやっているのだろう」と余所事を考えている内に、全部が分からなくなってくる。・・・撃沈。
技量云々の前に、唱歌をきちっと覚えないとダメだなぁ。覚えているつもりでもアバウト。
本当に頑張りの足らない私でございました。