『創作のキモ』 | fuyusunのfree time

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長唄などの邦楽をこよなく愛する看護師のfuyusunです。
ナースの仮面を脱いだ、fuyusunの日常を綴っています。

作詞をやっている知人のお誘いで、創邦21というグループの公開講座に行ってきた。
ご自身で作られた曲を解剖し、解説を聞くという勉強会だった。
こういうのは初めてでドキドキしちゃった。でも、楽しかったです。

さて、ある筝曲演奏家の作曲した『天泣』という曲について。
お琴というのは、洋楽器の旋律に本当に似ている。短調系の静かな癒し系の曲を鑑賞している感じだ。
この曲はお母様の追悼の意を込めた曲らしい。お母様とはとてもピュアな関係でいらっしゃったのでしょうね。透明感があって素敵だった。
第一章=天国
天国というと、お花畑で青い空。とても眩しい空間と私はイメージする。でも、一生懸命にお花畑を創造しようと努力するんですが、深い深い青色の世界が広がってしまう。そうそう、静かな深海という感じだ。
誰も見たこともない「天国」ですから、そのイメージは十人十色であってよいものである。
深い深い深海もまた清らかで美しいものだ。
第二章=悲しみ
この作曲者の本性はとても明るくいい人なんだろうなと思った。
よく芝居のオーディションに行くと、「悲しくて泣く」というお題を頂くことがある。
多くの人は号泣して表現をする。けっして間違いではない。
ある演出家が、
「人というものは本当に悲しい時は涙が出ないものである」と仰った事がある。
とある冒険家が冒険の地で命果てた。その妻が記者会見に応じた時、彼女は笑ったんですね。
でも、みんなその笑顔を見て悲しくなったんですね。そして、奥様がどれだけ深い悲しみに陥っているかを察した。
たぶん、普通だったら
「母親」の死を受けたら、きっとたぶん号泣はしないと思う。いやいや、号泣しない方が深い悲しみを感じる。
どちらかというと、第一章の方が作曲者の悲しみを感じた。
第三章は7/4拍子という面白いリズムだった。この第三章の旋律。お母様のカラッとした性格を表現したようですが、まさしく題名の如く「未来」でした。

知人の作詞した「顔(おもて)」という曲。長唄の方と清元の方が共同で作曲された面白い曲でした。
阿国歌舞伎の阿国を題材に、阿国の仮面をかぶった女性が阿国の仮面をかぶったが故に苦しむ。しかし、最終的にはその仮面をかぶって生きる事を決意するという題材らしい。
人は自分の本来の顔とは別に社会的に作る顔がある。つまり「仮面」だ。
そうそう、私もいくつも「仮面」を持ち、ケースバイケースで仮面を変えていく。
自分より背伸びした才能の仮面を装着し、たまたまそれが世間に認められてしまう・・・。よくある話だ。
他人は、その背伸びした才能を常に期待してしまいがちのものである。
その期待に応えようと頑張るのですが、同時に「いつ馬脚を現してしまうか」不安にさいなまれるものです。

誰しもが「役割期待」というものがある。そして、その期待にそって人は行動する。
たまにその期待が大きいと、そのストレスがら逃避しようとか、うまくストレス処理ができなくてストレス障害を被ったりするものだ。
この阿国は阿国という仮面をかぶったまま生きる事を受容し決意する。
そう、人生なんて結局なるようにしかならない。そういった哲学に出会うんだな。
非常に、心理学的で哲学的なプラス思考の作品であると思った。

そうそう、全曲を聴いたわけではないので、本当はもっとメリハリしているのかもですが、
何気に「ずっと同じ流れだなぁ」と思った。どこかで、血圧をガバッと上げてくれた方がおしまいのすっきり感がかなりアップするように思いました。


さてさて、こういう講座を聴くのもよい勉強になります。
私もいつか何か作り上げたいものです。・・・へへへっ♪何もできない癖に、夢ばかりです。

会場で知人に会い、夕食をご一緒した。
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刀削麺初体験♪
美味しかった♪♪♪激ウマでした。