鏡獅子の小姓の巻の前半。
「恋の根笹の伊勢海小路、川崎音頭口々に」の後は“川崎音頭”である。
しっとりとうっとり素敵な部分です。
さて、この川崎音頭。ずっと神奈川県の川崎のことだと思っていました。
江戸城大奥が舞台なのに、なぜ急に“川崎”が出てくるのかな???とずっと疑問に思っていました。
疑問に思ったらすぐに調べるべきだったのですが、今日まで持ち越してしまっていました。
久々に太鼓でこの曲を勉強することになって、「そういえば」と川崎音頭の疑問を思い出したのです。
音頭というとすぐに思いつくのが“東京音頭”です。
もっと古くから有名な“伊勢音頭”とかあるじゃないかと思うのですが、何せ東京っ子だからでしょうか。子供の頃から盆踊りという『東京音頭』がなっていましたからね。最近じゃ『ドラえもん音頭』なるものの方が定番なんですが、やっぱり私世代は『東京音頭』です。
という事で、音頭というと盆踊りをイメージしてしまう。それが故に「ここから川崎音頭」と言われた時は本当に吃驚しました。しっとりうっとり。何々という感じでした。
川崎音頭というのは盆踊りではない。ではでは川崎音頭というのは何ものなんでしょうね。
川崎音頭=伊勢音頭。伊勢の古市の川崎で起こったから川崎音頭らしい。
伊勢音頭というのは、伊勢参宮をした人々によって、この地方で唄われていた木遣唄、祝儀唄、道中唄、盆踊り唄、座敷唄等が各地に持ちこまれた。人々はこれらの唄を伊勢の地名をつけて伊勢音頭となったらしい。
享保の時代に名古屋の遊郭が誕生。そこに古市の遊郭が出店を出して、お客さんを集めるために当時伊勢で流行っていた川崎音頭をお座敷芸に用いたのだそうです。で、伊勢の川崎音頭は面白いという評判を得て伊勢音頭という名前が誕生したとか。
江戸時代。江戸の庶民の夢はお伊勢参りに行くという事だったそうです。『東海道中膝栗毛』の弥次さん喜多さんも家財を売りはたいて伊勢参りに出発。その道中のお話が『東海道中膝栗毛』。
親や主人に黙って旅に出るなんてとんでもないことですが、この時代、「伊勢参りに行ってきました」ならば許される行為だったそうです。
伊勢名物の赤福。1707年頃から売り出されたものらしいですが、
今ならお土産に赤福もokでしょうけれど、当時はお江戸まで赤福を持って帰るなんて不可能。
ふと、当時のお伊勢参りのお土産は何を持って帰ったのかなと疑問になりました。はははっ余談です。
話が脱線しましたが、川崎音頭の川崎は神奈川県の川崎ではなかったのですね。
またまた一つお利口さんになりました。