「邦楽」=「日本の音楽」。
つまり、長唄とか小唄とか・・・そういったジャンルの音楽も邦楽だけれど、演歌もJPOPもmade in Japanの音楽なら「邦楽」なんですよね。
しかし、三味線音楽をはじめとして伝統的音楽のCD等を探しにCDショップに行くと、「純邦楽」というジャンルに分類されている。はははっ。じゃあ、演歌とか歌謡曲等は不純な邦楽なのだろうか。まあ、屁理屈なことを言っても仕方がないけれど、純邦楽って・・・なんだろうなと思います。
どうも、三味線をはじめとした古典的音楽は「特別なもの」というとらえ方がされている感じがします。
明治維新後、岩倉具視をはじめとしたヨーロッパ視察団が、パリオペラ座のオペラを鑑賞して、その素晴らしさに吃驚仰天したそうです。すっかり西洋かぶれした面々。彼らは思った。「わが国にはこのオペラに勝る芸能があるだろうか。歌舞伎は庶民をターゲットとした芸能。あれは下品でとても上流のものが楽しむ芸能ではない。能か・・・。しかし、あれは武士の芸能。そんなものを持ち上げるわけにはいかないなぁ」と。
そして、明治政府はそれまでの庶民的な歌舞伎から、上流社会の人々や諸外国の要人の外交として案内できる芸能に変化する事を求めた。「下品な演目は上演してはならない」などなどの指導を行ったそうだ。
この演劇改革からですかね。庶民の娯楽だった歌舞伎が、今のように特別なもの感ある演劇に変わったのは。
まあ、この明治という時代は「今までの日本の伝統や風習・文化はダサい。西洋の物は素晴らしい」というもの。杵屋○×さんが作った音楽よりも、モーツァルトやショパンが作曲した音楽の方が高級で素晴らしいもの。みんなそういう音楽を聴きなさい。三味線なんてダサい楽器に興味を持つよりも、ピアノやバイオリンに興味を持ちなさい。そんな感じですかね。
現代になって、
三味線音楽などは、「ダサい」存在というよりは「特殊な人々が興味を持つ音楽」という存在になっている。
お金持ちのおじいさん・おばあさんが趣味とするもの。
“長唄”はそもそも歌舞伎の音楽ですから男性社会である。そう説明すると知らない人は吃驚する。
どうも邦楽は女性の社会であるというのが、いまどきの二、三十代の人たちの印象のように思う。
先日、職場の患者さん向けのイベントで「夏祭り」もどきのような事をやったんですね。
まあ、ちょっとした体操みたいな事をしたり、歌を唄って、最後にお菓子とジュース。希望者にはノンアルコールビールがふるまわれて楽しく過ごすというもの。
その会場に流していた音楽。計画者が作ったCDだと思うのですが、ケースに「お祭り」という題名が書かれていた。その内容は「ソーラン節」とか「花笠音頭」・・・。これってお祭りをイメージした音楽というより民謡じゃん?!
でも、思ったのですよ。太鼓や笛の音が入っていれば「お祭りのお囃子」。つまり祭囃子も民謡も同じに聴こえるんじゃないかな。三味線には様々なジャンルの音楽があるけれど、津軽三味線も長唄も小唄のような座敷音楽もみんな同じに聴こえているんじゃないかな?
介護士の一人がある時
「僕の友人がfuyusunさんと同じような事をしているんですよ」と。
「この前、“じょうばん”なんとか大夫という名前を頂いて、プロデビューしましたという葉書が来たんですよ」と話を続けた。
「じょうばん?!常磐津じゃないの??!」と言うと、
「そうそう、“津”という字が入っていました。“ときわず”というのですか」
そうそう、知らない人が詠むと“常磐”を“じょうばん”と読みますよね。
しかし、「同じような事」って・・・全然違うのですが。
あれは浄瑠璃系の音楽だし。いやいや、そもそも、私は素人ですからね。そのお友達という人はプロでしょ。基本的スタンスが違う。
素人もプロもゴッチャなんだろうな。
人の事を
「“じょうばん”だって^m^」なんて笑えるほと、知識が豊富なわけではない。
まだまだ知らないことがいっぱいある。
ただ、“常磐津”をきちっと“ときわず(づ)”と読める環境に育ったことをありがたく思う。
民謡を聴いて「これは民謡」と分かる環境に育って良かったと思う。