お稽古二連チャン | fuyusunのfree time

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長唄などの邦楽をこよなく愛する看護師のfuyusunです。
ナースの仮面を脱いだ、fuyusunの日常を綴っています。

24、25日と連続してお稽古ありました。
ぜんぜん浚う時間がない。。。

考えてみたら、大皮の師匠のお稽古場は毎月五日間連続の毎日稽古で、朝から晩(?)のお稽古でもっと浚う時間がなかったのに、普通に稽古をしていたよなぁ。
あの時はどうとも思ってなかったのに。。。
別に特別な事じゃないですよね。
消化の時間を欲するなんて、変な習慣を身に付けてしまった。

さて、何故か金曜日まではまあまあのお天気だったのに、週末にお天気が崩れてしまったけれど、大雨にあう事もなくラッキーでした。
小鼓の『石橋』は無事に段切れまで行き、来週のお稽古で上げ浚いかな?
けっこう難しく危ないところが数箇所。
唄の息が良く分からなくて、慌ててしまう。
あと、ところどころ記憶の混線を起こして、手が泳いでしまう。
来週まで、良く浚っておかないとなぁ。。。
やっぱり、納得した形で次に進みたい。

そうそう、『石橋』の乱序から段切れまでは『英執着獅子』や『連獅子』なんかと同じなのですが、太鼓だけは『石橋』は特別バージョンなのだそうです。
理由は教えていただけませんでしたが。。。
たぶん、伺っても「そういう手だから」で終わってしまう。
1+1が何故2と思うのと一緒で、考えたら難しくなっちゃう。
手というのは理数系の公式と一緒で、丸暗記が一番です。
「どうして」を考えると深みにはまる一方です。
ただ、これは私の想像ですが、『石橋』は他の獅子ものと違って、ほとんど謡曲『石橋』の長唄バージョンという曲なので、そのせいかもなぁ。。。

太鼓の『高砂丹前』は乞合で躓いて片車切りの前でお稽古終了。
ここの乞合はスピードバージョンなので、基本形を省略バージョンに。。。この省略バージョンが苦手。
頭の一部で分かっているんですが、結局脳ミソで混線。
感覚を認知する部分は理解しているんだけれど、それを受け止めて行動に移す部分が理解できていないのですよね。
で、感覚野が「なんでできないんだよ!」と怒っているんですが、とろい運動野が怒られれば怒られるほど焦っちゃってできなくなっちゃうというこんな現象を起こしていました。
みなさんもこういうのってあるでしょ。
分かっちゃいるけどできない。物事、頭全体で理解してくれなきゃできないのです。
良く来週まで浚っておかなくちゃね。。。