演劇に関する様々なものを勉強しました。
演技に関しては文学座の演出家の先生を二名招いて二年間を通して勉強。
他にも著名な演出家の先生・映画監督・脚本家などなどの講師を招いて、単発的な指導を受けました。
演劇に必要な諸々なもの・・・
歌唱とかダンスとか日舞とか、三弦、謡曲、殺陣なども学びました。
この中で一番好きだった授業は「殺陣」の授業でした。殺陣師の宇仁貫三先生を招いての授業。
殺陣は時代劇を演じる上で必要な技術と言っても過言ではありません。
太刀に小刀、懐剣に槍に薙刀と様々な立ち回りを勉強。楽しかった。
宇仁先生の立ち回りは、舞踊のように美しいのが特徴と聞いたことがある。そこの部分の好き嫌いかあるらしいけれど、私は先生のつける立ち回りの美しさが好きでした。
時代劇のラストの殺陣のシーン。そのドラマの一番盛り上がる部分。悪は散り正義の勝利!スカッとするシーン。
ここをじっくり鑑賞していると、まず京都風と東京風の違いを感じる。
どう違うの??!うーん、言葉で表現しにくいのですが、京都風の方が若干臭い。
もっと細かく見ていると、それぞれの殺陣師の特徴を感じる。殺陣に流派があるか分からないが、流儀的継承様なものを感じる時もある。

殺陣の授業の思い出というと、夏休みの殺陣の合宿。
一年生・二年生の希望者だけの合宿。プロダクションのロケバスに乗って河口湖に一泊の合宿。
楽しかったですね。
得意な武器は薙刀。なぜか一番好きな武器が薙刀だったんですね。
当時、憧れの役の一つで大奥の見回りの腰元の役。彼女の手にある武器は薙刀。
いつ、そんなお仕事に恵まれてもよいように懸命に稽古をしていた。
役者は浅く広く色々なものができるという事を求められている仕事。
「出来ない」という言葉は命取りとなる。
「君、○○できる」と聞かれて、「できません」と答えれば、当然その仕事は他人の方にいってしまう。
相手は即戦力を求めているわけですから、「今はできないけれど稽古すればできるようになります」ではダメなんですね。
一度逃した仕事は、その後も響く可能性がある。サバイバルな世界なのである。
しかし、できないのに「できる」と言って、できなかった場合は悲惨である。相手の期待を裏切る事になるので、これも命取りな事になる。
仕事を引き受けるという事は大きな責任を負うということだ。
「君の変わりはいくらでもいる」という世界。そういった中で生きるという事は浅く広くが基本。
スターは別なんですが、底辺の役者になればなるほど「なんでもできる」と言う事が求められる。
また、人にはできない特徴を持つという事も大切である。なかなか習得まで時間が掛る技術を持っているという事はその人の特徴となってその人の強みとなる。そういった強みを得るために色々と体験する。養成所というところはなかなか親切なところである。