第159回邦楽鑑賞会 | fuyusunのfree time

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長唄などの邦楽をこよなく愛する看護師のfuyusunです。
ナースの仮面を脱いだ、fuyusunの日常を綴っています。

今日は国立劇場主催の邦楽鑑賞会-長唄の会-に行く。
長唄界のオールスターのような演奏会で、毎年楽しみの演奏会だ。
二部制の会で、いつもはどちらか一方を鑑賞するという感じだけれど、今日は一部、二部とどちらも鑑賞した。
なんか、この邦楽鑑賞会というと大雪が降ったりと天候が今一つの印象があるけれど、
今年はお天気に恵まれてよかったです。

さて、プログラムはこんな感じでした。
『神田祭』
唄    日吉小三八、他
三味線  稀音家六四郎、他
お囃子  望月左太郎、他
神田祭は四世吉住小三郎と三世杵屋六四郎の作曲したもので、研精会の長唄。よって、本日は本家本元の演奏です。
何気に上段(長唄連中)とお囃子の息がバラバラしていたような気がする。何故だろう?!
しかし、太鼓を演奏された望月左之助氏がとてもよかった。
私が十代の頃から彼の太鼓が好きでした。「流麗な左之助さん」と母と二人の間で言われている彼。本当に彼の太鼓は流麗でとても綺麗。でも、すっかりベテランの域に達してしまった左之助氏。たまに演奏会にご出演されているのに遭遇するけれど小鼓ばかり。ご本人も「最近は太鼓を打つことが少なくなった」と何年か前にお目に掛った時に仰っていました。彼の太鼓が大好きなのに。。。残念なことだ。なんて思っていたら、なんと今日は♪♪♪
しかし、変わらずの芸で彼らしい『神田祭』を拝聴できてうれしかったです。
大皮は望月左吉氏。私にとっては二代目の方です。だんだんお父様に似てダイナミックな大皮を打たれていますよね。
一つ一つのパーツはすごっく良かったのですが、何気にばらつきを感じたのが残念でした。

『汐汲』
唄    杵屋直吉、他
三味線  杵屋六三郎、他
お囃子  望月太喜雄、他
中堅からベテランの域に達した方々の演奏でとても安定されていました。
六三郎氏の三味線はキレが合っていいですね。
『汐汲』というと、踊りが入れば華やかだけれど曲としては今一つ華やかさが欠けている曲に思う。
ところが合点。中の舞はカッコいいし、傘づくしの太鼓地ははんなりと美しい旋律で楽しませてくれる。
芸の未熟な方が演奏すると面白みのない曲ですが、本日のように熟練のメンバーでの『汐汲』はなかなかの味わいを感じる事ができる。

『織殿』
唄    杵屋左臣、他
三味線  伊勢弥生、他
初めて聞く長唄でした。伊勢氏は藤舎流のお家元の奥様だ。
一つの流派を支える奥様業というのは、本当に生半可ではないと思うのです。
しかし、その多忙さを感じさせないこの実力はすごいなぁと思います。
曲自体はちょっと地味な曲に思えましたが、その旋律に酔いしれてしまいました。
この曲は嘉永元年の夏に初代杵屋六翁(四世杵屋六三郎)の作曲したもので、作詞は三学堂という人らしい。
六翁が熱海に湯治に行って、湯治場の近くにあった機織り場を通りかかる。そこから聞こえる機織り唄に興味を覚えてこの曲を作曲したそうです。
『春秋』にも出て来る機織りの際に糸をしごく所作の擬音。よくあんな奏法を考案したものだと思う。
四世杵屋六三郎というと『松の緑』とか『老松』『吾妻八景』を作曲した方ですね。七代目市川団十郎に贔屓されて『勧進帳』とか『正札付』なども作曲している。作曲も三味線演奏者としても天才的な方だったそうだ。
さすが、地味な曲ではあるけれど、情緒的な美しい長唄だと思った。

『綱館の段』曲舞入り
唄    宮田哲男、他
三味線  杵屋五三郎、他
お囃子  藤舎呂船、他
五三郎氏。客観的にその舞台姿を拝見して「お歳を召されたな」と思った。しかし、芸というのは恐ろしいものです。
「人は常に進化し続ける生き物である」というけれど、五三郎氏の芸は去年よりも成長されていたように感じる。
間の中にも芸がある。本当に五三郎氏ならではの演奏を聴かせていただいたと思う。
また、来年も再来年も師の演奏を拝聴したいです。卒寿の会の際に宮田氏が「白寿もぜひ」と仰ってたいましたが、本当にぜひぜひです。
若い方々が演奏される躍動感あふれる『綱館』を期待して演奏を聴くと、「このゆっくりした時の流れはなんだ」と思うかもしれない。でも、躍動感あふれるだけが聴かせる長唄ではないんですね。
御伽草子を子どもに読み聞かせるような、そんなストーリーテイラーのような演奏でした。
「ねえねえ、つぎどうなるの?」「ねえねえ」
子どもの興味をどんどんそのワールドに引き込むような、そんな演奏で素晴らしかったです。
芸の未熟な人は小手先の技術で取り繕うので、ゆっくりしたノリの演奏というのは難しい。さすが、長年の芸の積み重ね。五三郎&宮田の演ずる『綱館』ワールドに引き込まれてしまった。

『八犬伝』
唄    杵屋勝四郎、他
三味線  芳村伊十一郎、他
お囃子  堅田喜三久
この曲は何気な好きな曲だ。特に『手綱引の合方』のところが好きだ。命からがら逃げて行くその風景。馬の息遣い。足取りを感じるから好き。
伊十一郎氏の三味線はメリハリがあって素晴らしい。いつも勝国氏や伊十七氏のワキのイメージが強いので、改めてずごいと思った。三味線と唄のバランスよく、更にお囃子とのバランスが良かった。
喜三久師の小鼓は野蛮で迫力があって素敵だ。どすの利いた小鼓の音色に魅了されてしまう。
小学校の頃から憧れた我がアイドル様。すっかり御髪も白いものが目立って、客観的に超ベテランの雰囲気を醸し出しているのに、どこにあの野蛮な迫力があるのだろうか。

『女夫万才』
唄    今藤美知、他
三味線  今藤長十郎、他
今藤流に伝えられている稀曲だそうです。『京鹿子娘道成寺』のように超古い曲なのに、今も第一線級で親しまれている曲と、お蔵入りしてしまって忘れ去られている曲があるわけですが、その違い・・・分かる気がします。
良い曲なんですが何かが足らない。
今藤流にはこういった稀曲が沢山掘り起こされているそうです。どんどん世間に発表してほしいです。この曲も地味でこれといった特徴がない曲ですが、耳障りのよい素敵な曲だと思いました。

『都風流』
唄   岡安喜代八、他
三味線 杵屋五三吉、他
五三吉氏が東音会で活躍していた時代に“杉浦弘和の会”という会を開催した。そのプログラムが最近たまたまプログラム箱を整理していたら出てきた。写真が掲載されていて、いやいや苦み走った二枚目スター並み。
今はすっかり温和な顔立ちになられた。芸風も何気に変わった気がする。
東音会でバリバリに活躍した時代。杵屋五三吉を襲名から。そして還暦半ばになって・・・。節目節目でその年代にあった芸風を持って観客を魅了している感じがする。
子役は大人になって大成しないというが、それは節目節目でキャラを変更するのが難しいからだ。
芸風=キャラを変更するという事はなかなか難しいものである。
その難しさを克服されている凄い演奏家さんのように思う。
本日の『都風流』。親子共演の素晴らしい演奏だったと思います。風流なお江戸の情景が目に浮かびました。
最後の雪の合方は本当に綺麗でした。
五三吉氏らしい三味線の音色に魅了させられるような演奏だった。
私の座席の後ろのお客さんが
「バンバン弾かずに奏でる感じで素敵よね。あんな風に演奏してみたいけれどなかなか難しいわよね」と仰っていた。
そうそう、撥を用いて奏でる演奏というのは難しい。撥を持ってしまうと、どうしてもバンバンと引きたくなってしまう。大薩摩のようにバンバンと叩くような奏法を求められる事もあるけれど、奏でるように音締を楽しませる奏法など、色々と使い分けて演奏するとそのワールドも広がるのですよね。

『靱猿』
唄    今藤尚之、他
三味線  杵屋勝国、他
お囃子  堅田喜三久、他
勝国氏の三味線はメリハリがあってドラマチックな三味線である。五三郎先生や五三吉氏とは対象的な奏法の演奏家さんだと思う。
こういった芝居がかった曲は勝国氏の演奏がよい。まるで3D映画の如くです。場面場面が飛び出てくる。
今藤尚之氏の唄も素晴らしかった。
『靱猿』のお囃子なら、きっと喜三久師が太鼓だろうと思いがち。何せ太鼓のよい曲ですから。と思ったら、太鼓はご子息の新十郎氏であった。
喜三久師の野蛮さはこういう柔らかな曲でもさえるものだ。
長唄という音楽を綺麗に楽しむというより、音楽をドラマティックにエンジョイするぜと躍動感あふれる演奏を楽しめる。
最近のお囃子さんは、綺麗に音楽を仕上げる演奏をされる方が多く、喜三久師のように野蛮で骨のある演奏をされる方が皆無に思われる。それが非常に残念で仕方がない。
久々に生の喜三久師を拝見して心が躍っている私がいた。すごい!とにかくすごい。
去年、狂言で『靱猿』を鑑賞したばかり。曲を聴きながらその場面場面が重なって、いつもとは違う『靱猿』を鑑賞できたように感じる。

充実した一日でした。また、来年も楽しみです。