お座敷長唄 | fuyusunのfree time

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長唄などの邦楽をこよなく愛する看護師のfuyusunです。
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長唄は歌舞伎と共に発展した音楽。しかし、ちょこちょこっと歌舞伎を離れた長唄があります。
『吾妻八景』などはその代表格の曲ですね。
さて、こういった長唄を“お座敷長唄”と称します。しかし、随分昔ですが吉川英史氏は「本来はお屋敷長唄と呼ぶべきであろうと思う」とある雑誌の記事に書かれていました。
そうそう、“お座敷”というと、花柳界のお座敷が頭に浮かびますよね。しかし、この花柳界のお座敷のために作曲された長唄ではないのですよ。
当時の長唄界の人気者は、歌舞伎だけでなく、大名屋敷など武家のお屋敷や、大金持ちのお屋敷・茶人のお屋敷に呼ばれ演奏することがあったらしいのです。
「○○様のお屋敷で△△を演奏した」という記録があるそうです。
つまり、○○様のお屋敷のお座敷で演奏するために作った曲が“お座敷長唄”なのですね。
『吾妻八景』の作詞は作曲者である六三郎氏が作ったようですが、時々、長唄の曲について勉強していると、どこそこのお大名が作詞したとか、どこそこの奥様が作詞したとか見かけることがあります。例えば『常磐の庭』は南部候の奥様が書いたもの。こんな感じにご自分の書いた詞に曲付けして、その長唄鑑賞会を行うという感じのお遊びをしていたのでしょうね。優雅です。

さて、お座敷長唄の特徴は
・歌舞伎から完全に離脱したものである。
・長い合方があって、三味線が大いに活躍する。
・登場人物が自由。または、全く登場人物がいない事もある。
長唄というのは、歌舞伎の音楽。つまり、役者があって長唄があるわけですね。非常に役者に気を使わねばなりません。また、長唄は“唄”ですので三味線は唄方に非常に気を使わねばなりません。
三味線だって見せ場が欲しい。そんな思いがあって、こういったお座敷長唄が作曲されたのではないだろうかと前述の吉川氏が書いていました。
確かにね・・・。
三味線弾きは縁の下の力持ちだよね。どうせなら自分が目立つ曲を作りたいですよね。はははっ^^

『吾妻八景』が誕生した時代は、文化・文政の時代です。この時代は、平和な時代の集大成のような時代。大名をはじめとした文化でもなく、お金持ちの商人ような特権階級的な人たちの文化でもなく、江戸の庶民の間の文化が栄えたというのがこの時代なのだそうです。いわゆる化政文化ですね。
よき時代ですね。