
たまたま、獅子ものについての調べ物をしていたら、
『石橋』に出てくる、寂照法師についての新しい発見があった。
大江定基という人が出家して寂照法師となった。
この出家の理由は不倫だったそうな^^A
私の父母は愛知県出身。それなのに「力寿姫って誰?」でした。
大江定基は京都から三河守を命じられ、今の愛知県豊川市国府に赴任した。
定基は妻帯者だったが、赤坂の長者の娘の力寿姫と恋に落ちた。(この赤坂は豊川市の町の名前)
この後の話し、諸説あり。
その一、
不倫が妻ばれて、定基は本妻に捨てられてしまう。ところが、ある意味ラッキーで、力寿姫を本妻に迎えることができた。しかし、本妻の恨みのためか、力寿姫は病気になり死んでしまった。定基は姫の死が受け入れられなく、力寿姫の亡骸と共に生活する。でも、七日後に、さすがに腐敗が進んでいて、その臭さに定基は姫の死を受容する。そして、世の儚さを思い出家する。
その二
定基は力寿姫を愛妾に向かえ幸せに過ごしていたが、ある日、姫は重い病に掛かり亡くなってしまう。なかなか、姫の死を受け入れる事ができず、定基は日々泣いて過ごした。
ある日、文殊菩薩が出現し
「お前がそのように悲しんでばかりいると、力寿姫は成仏できない」と諭された。
で、定基は文殊菩薩の言われたように彼女を弔い、そして出家する。
その三
定基は力寿姫を愛妾として可愛がっていたが、国司としての任期が切れたので都に帰らねばならなかった。一緒に連れ帰ればよいものを・・・結局、現地妻なんですよね。
力寿姫は、別れの悲しさに自害を図り死んでしまう。
定基は、可哀想に思いその亡骸と共に七日間暮らす。しかし、腐敗が進んでひどい事になってしまい、定基は世を儚んで出家した。
その四
力寿姫は子どもを身ごもった。しかし、体力もたずに子どもを生むことなく死んでしまう。
定基は嘆き悲しみ、七日間、力寿姫の亡骸と凄し、世を儚んで出家した。
今まで、石橋ものを調べたりしていましたが、何故、この寂照法師がお坊さんになったか知らなかったのですね。こういった、ラブロマンスというか、不倫劇があったんですね。

これは、豊川市音羽にある長福寺です。ここに力寿姫が供養されているそうです。
へえ♪この変、なんとなく知っているけど・・・こんな話しがあったなんて初耳です。

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