そろそろ | fuyusunのfree time

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長唄などの邦楽をこよなく愛する看護師のfuyusunです。
ナースの仮面を脱いだ、fuyusunの日常を綴っています。

bachi 002
今日のお稽古の時に
「ずいぶん、女の子らしくない撥になっちゃったね」と師匠に言われてしまいました。
確かに・・・真っ黒です。
「撥先も鉛筆みたいにとがって来ちゃったし・・・」
はあ・・・そろそろ、買いかえないといけないのかしら?

この撥を入手したのは、1993年の秋です。
まだ、大皮の師匠のところでお稽古していた頃です。
十月一日に国立劇場でお浚いがあって、その次のお稽古の時に
「囃子は大皮だけできればいいというもんじゃない。小鼓はいつでもできるから、まずは太鼓だ」
と、十月の最後のお稽古から太鼓をお稽古する事になったのです。
そして、今度から太鼓をお稽古するからという事で浅草の宮本で撥を買ってくるように言われた。
「長唄用じゃなくて、観世流の撥を買って来い。お前は重たい撥の方がよさそうだから、なるべく重い撥を買って来い。あっ、それからなるべく目が細かいのを選ぶんだぞ」
非力の女性は重いほうがいいのだそうです。また、観世流というのは長唄用より太いのですね。何故太いのがいいかは不明。私の手が大きいからですかね。。。

宮本に行って、観世流の撥を一杯見せていただいて、目の細かく重たいのを選択しました。
でも、それを持って行ったら
「もっと目の細かいのはなかったのか」と文句言われましたが・・・
だってなかったのですもの。

『供奴』太鼓を教わりました。しかし、それが最初で最後の大皮の師匠による太鼓のお稽古でした。
その日、師匠から「俺は胃癌で余命三ヶ月と医師から言われた。でも、俺は死なない。来月からお稽古を休みにするが必ず元気になるからお前等待っていろ」とご自分の病気について告知を受けた。
余命三ヶ月というのに希望満々。「来年の正月のお打ち初めは『供奴』の太鼓だ」とか「来年の六月に○○の会が歌舞伎座であるぞ。それを目標に頑張るぞ」とか・・・
とても、余命三ヶ月とは思えない・・・師匠は希望に満ち満ちていて明るい顔だった。
だから、本当に亡くなるなんて思えなかったんですよね。。。
でも、それ以来、この撥を使う事はなかった。一応、『供奴』は段切れまでサラサラとお稽古したが、ぜんぜんつめていないし・・・半端のまま現在に至っている。
1994年二月の初めに大皮の師匠は力尽きてしまった・・・。
『供奴』はどうなるんでしょうね・・・
六月の歌舞伎座はどうなるの?
そういっても、師匠は答えてくれなかった。

今の師匠のところに入門したのは、2004年三月だ。
太鼓を習い始めたのは2006年の四月でした。一回しか使っていない撥。でも、十年以上経っていますから、色だけはベテラン色。
腕前と撥の色にあまりにもギャップがあって変な感じでした。
もう丸々三年と三ヶ月だ。色もあの頃よりもっとベテランになって、撥先もずいぶん磨り減ってしまった。
愛着持って使っていた撥ですが、そろそろお別れの時期にきてしまったのかもです。

ところで、私の撥は90g以上あって、男の師匠よりも重たい撥を使っている。
こんなに重たい撥を使って・・・私って怪力丸なのかもです。
両撥で2kgくらい。だから、カバンが重たいのだという事に気がつく。

次回の撥はちょっと軽いのにしようかな・・・。

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