『鷺娘』って面白い | fuyusunのfree time

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長唄などの邦楽をこよなく愛する看護師のfuyusunです。
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来年は『鷺娘』からお囃子のお稽古が始まる。一口で『鷺娘』と言っても色々ある。パタパタと羽ばたき息絶えて行くという結末もあれば、お囃子の“翔り”で二段とか三段とか言われる台に上って、撞木を振り上げて見得を切って幕というバージョンもある。
そうそう、最後、白鷺が徐々に弱って息絶えて行く演出があまりにも印象が強いので、「死なない」演出があったのをすっかり忘れていましたが、そうそう、何気に死なないバージョンも思い出した。
まあ、色々と音を聴くと「こんなに色々あったんだ」と思ってしまう。
実際、客席で聴いていると、全部同じ『鷺娘』に聴こえている。本当に自分のいい加減さに気が付く。
こうして聴き比べると、
鼓唄で始まるものもあれば、前弾きがあって鼓唄になるもの、前弾きのなかに本来の小鼓唄の歌詞を唄いこんだものと色々だ。こんなに違うのに気が付かないって、アバウトに「『鷺娘』ってこんな曲」という耳で聴いているんだろうな。
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歴史をひも解くと基本的に『鷺娘』と呼ばれるものは三種類あるらしい。
宝暦12年(1762年)に市村座で二代目瀬川菊之丞が四変化舞踊『柳雛諸鳥囀』(やなぎにひなしょちょうのさえずり)の中の一つ。長唄舞踊。作家は壕越二三治という文献もあったけれど、不明とされる文献の方が多い。作曲は冨士田吉治と杵屋忠次郎である。
『うしろ面』・『鷺娘』・『傾城』・『布袋』と菊之丞は変身して行った。
『うしろ面』って、狂言の『釣狐』の事でしょ。狐から鷺か・・・。狐は綺麗な女性に化けるというのはメジャーな発想だけれど、鷺というのは新発想だなぁ。まあ、『鶴の恩返し』のように鶴が人間に変身するお話もあるので、そうそう新発想とは言えないかも知れませんが。
文化10年(1813年)に中村座にて三代目坂東三津五郎が踊ったもの。長唄と常磐津との掛け合いの十二変化舞踊『四季詠寄三大字』(しきのながめよせてみつだい)の中の一つ。作家は瀬川如皐。作曲は初代杵屋勝五郎。
一月『門傾城』(長唄)・二月『半田稲荷』(長唄)・三月『業平』(常磐津)・四月『鰹売』(富本)・五月『虎狩』(竹本)・六月『唐人』(常磐津)・七月『田舎ごぜ』(常磐津)・八月『俄かしま踊』(長唄)・九月『木賊刈』(長唄)・十月『雇奴』(富本)・十一月『鷺娘』(長唄)・十二月『金太郎』(長唄)
四季折々の舞踊が組み込まれた作品だったらしい。長唄杵勝三伝の一つである『虎狩』がこんなところにあった。吃驚。
天保10年(1839年)に中村座にて四代目中村歌右衛門が演じた八変化舞踊『花翫暦色所八景』(はなごよみいろのしょわけ)の中の一つ。作者は桜田治助で、作曲は十代目杵屋六左衛門となっている。
『天女』(長唄)・『助六』(長唄)・『旁妻(かくしづま)』(富本)・『飴売』(常磐津)・『丹前景清』(長唄と常磐津の掛け合い)・『船乗』(不明)・『雀踊』(長唄)・『鷺娘』(長唄)。
この『鷺娘』は『新鷺娘』と呼ばれた。

今の『鷺娘』は瀬川菊之丞が演じたものだそうですが、実は興業として初演以降取り上げられなかった為に、振り等は絶えていたそうです。
明治19年(1886年)に、九代目市川團十郎が新富座にて『月雪花三組杯觴』(つきゆきはなみつぐみさかづき)で初代花柳壽輔の振り付けにて復活。九代目は『新鷺娘』のクドキを入れ・寝鳥の合方を追加し・羽ばたきという合の手を入るなどの工夫をした作品として復活させました。ただ、この作品は“死なない”バージョン。
息絶えて行くバージョンの演出は大正末期以降に出来た演出だそうです。

そうそう、最後の徐々に弱って息絶えて行く結末は、大正11年(1927年)にバレリーナのアンナ・パヴァロヴァが来日。そして『瀕死の白鳥』を演じた。それを観た六代目尾上菊五郎が「これはロシアの『鷺娘』だ」と感動。そして、新しい演出として、パタパタと弱りながら息絶えて行くというエンディングを考えたそうです。

さて、
「女は死ぬと熊野の鳥に責められる」なんていう説が昔は信じられていたとか。
「女」っ・・・!誰でもなんですかね。
不特定多数と契りを交わす遊女は、死ぬと無間地獄に落ちると言われている。確か、『傾城道成寺』の歌詞の中に鳥が群がって女を責めるという歌詞があったなぁ。
遊女が誓文を一枚お客に渡すと、熊野の鳥が三羽死ぬ・・・。熊野信仰ではこんな事が言われていたそうです。
商売なのだから仕方がないと言っても、やはり人の心をだますのは良くない行為だという事ですね。でも遊女は、好きで遊女という職業につたい訳ではないのになぁ。それもその人の生まれ持った「業」と言われてしまえば返す言葉がない。よく遊女は「生きるのも地獄。死んでも地獄」と言います。こういう事なのでしょうね。
『傾城道成寺』もそうですが、『鷺娘』の「責め」というのは、この信仰がベースになっているそうです。
が、この信仰って「遊女」限定ではなく、女性全体を指しているのでしょ。そんな・・・。
別に女に生まれたくて生まれたわけではないのに・・・。それに、別に異性を惑わせるような事もしていないのに、何故?!酷い話です。いえいえ、仏教ではそれも「因果」と考えられているのでしょう。
・・・女性としては、ちょっとショック。「それも因果なんだなぁ」なんてすぐには受け止められないお話です。

まあ、因果なお話は別として、
同じ題名の曲なのに、よくよく聴くと「えっ?!」となってしまう『鷺娘』は面白い。
でも、小鼓・・・けっこう大変。手が攣りそうです。寒いのに、大汗かいちゃっています。
今度のお稽古までに、どれらけ覚えられるかしら?・・・心配。