長唄『靭猿』 | fuyusunのfree time

fuyusunのfree time

長唄などの邦楽をこよなく愛する看護師のfuyusunです。
ナースの仮面を脱いだ、fuyusunの日常を綴っています。

明治二年、稲垣抱節作詞で、二世杵屋勝三郎が作曲した長唄です。
常磐津にも同じものを取り扱った曲があります。
一曲は文化十二年(1815年)に『寿靭猿』というもので、狂言の『靭猿』を脚色したものだそうです。
もう一曲は、本名題が『花舞台霞猿曳(はなぶたいかすみのさるひき)』というもので、天保九年(1838年)に江戸市村座で初演。こちらは、登場人物の大名を女大名に置き換えられて、太郎冠者も奴に変身。この二人はラブラブな関係になど、色々手が加えられているそうです。
長唄の『靭猿』は常磐津の全作品を簡素化したものだそうで、観賞用長唄として、浅草蔵前の酒問屋のご主人の注文で作られた作品なのだそうです。

さて、物語は、
乗合船に、たまたま乗り合わせた大名と猿廻し。大名は近くの狩場で狩を楽しんだ帰り。
大名は兼ねてより、矢のケースである空穂(うつぼ)を皮製で仕立てたかった。そこに、空穂に使用するのに手ごろな猿に出会った訳ですね。
空穂=靭とは、矢をしまうケースです。いろいろなタイプがあるみたいですが、皮を使用する場合は一般に熊とか猪らしいのですよ。なのに何故“猿”???
どうも、西遊記の孫悟空に通ずるらしい。
"怪石裂けて石卵生じ、たちまち化して猿となる事は・・・”という一節があるのですが、これは孫悟空の事。石をも砕く・・・つまり、強い矢に通ずると縁起の良いものと考えたのかも知れませんね。
岸について、大名は太郎冠者に命じて、猿廻しを引き止める。
「殿様が、その猿を所望だ。猿をよこせ」と太郎冠者はいきなり猿廻しに声を掛けるわけですね。
吃驚した猿廻し。しかし、身分制度顕著の時代ですから、「冗談じゃない」と鼻にも引っ掛けずに行っちゃうわけには行きません。そんな事をしたら、猿どころか自分もお手打ちにあってしまう。
しかし、猿廻しにとって大切な商売道具というよりパートナー。猿を奪われてしまったら、明日からどう生きていけばよいのかわからない。と大名に懇願するのですね。
けれど、大名は全く聞き入れてくれず、強行手段で猿を射殺そうとしました。
「ああ、待って下さい。猿の皮が欲しいなら、矢で射殺しては皮に傷が付く。猿には一打で殺す急所があるので」と観念した猿廻しは、せめて自分の手で苦しまずに殺した方が良いと考えたのでしょうね。そう申し出たのです。
猿廻しは、「かわいそうに。次は人間に生まれ変わって来るんだぞ」と猿に言い聞かせ、鞭を振り上げるのでした。すると、猿が手元で芸を始めるのでした。
殺されるともしらず、猿廻しの振り上げた手が「芸をしなさい」というサインだと思って芸を始めたのですね。
その姿を見て、大名は不憫に思ったのですね。「もう良い。殺さなくてよい」・・・
そして、猿は命拾いしたのでした。
猿廻しはお礼に、猿の舞を大名に披露し家路についた。というお話しですね。

靭=空穂は、その姿が粟などの穂に似ているという事から「うつぼ」と名づけられたそうです。
空穂
(http://www.jaja.co.jp/ts/camcam/bihoku/bihoku.htmこちらから、画像は拝借しました)
こんな感じのものですね。

結局、ハッピーエンドなんですがね。。。
猿廻しが意を決して“ああもし、待って下さりませ、猿の皮がご用ならば、御手を下ろし射殺されましては、皮に傷がつき、ここに猿の一打と申しまして、一打にて命の失せるところがござるによって、殺して進ぜましょう” という所・・・ジーンと来ちゃいます。
どんな気持ちだったんでしょうね。
本当に身分をかさに、この大名が極悪非道の人に見えます。

さて、この曲を通して、日本人の“律儀”さを改めて感じます。
最近、「ありがとう」という言葉が失われつつあるといわれています。
何かしてもらったら、
「ありがとう」と感謝の意を述べる。
当たり前の事ですが、この当たり前が失われつつある日本です。

この曲の終盤は、命助けられたお礼に大名に芸を披露。
理不尽な命令で、猿を奪われてしまいそうになったのに、なんでお礼するの?
なんですがね。。。私だったら、そそくさと逃げちゃいますがね。

この曲のお囃子。ちょっと難しいけれど・・・
けっこう良い曲です。頑張ろう♪