三世望月朴清 | fuyusunのfree time

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長唄などの邦楽をこよなく愛する看護師のfuyusunです。
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三世望月朴清。つまり七世望月太左衛門の事である。
七世望月太左衛門というと『島の千歳』である。四世望月長九郎から七世望月太左衛門を襲名する際に演奏した曲である。明治から昭和初めにかけての小鼓の名手である。
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この方は昭和十三年にお亡くなりになっている。
『三世望月朴清(-囃子閑談-)』という古い本を入手した。これは、この故人のお付き合いのあった方々やお弟子さん、肉親の方々の故人を忍ぶ手記がまとめられている。
もともとは非売品で関係者に配られたものと思われる。
パラパラと本をめくる。けっこう貴重な資料となりうるものが含まれている本だ。
三世朴清という方は、とても頑固そうな方だな。しかし、飛び切りの芸をもっていた方なんだな。
そういった朴清氏の人柄が沸々とイメージできる内容である。
当時の松竹の会長が
本当に頑固で口も利きたくないくらいに腹の立つ事があっても、彼の小鼓の音を聴くと全部水に流れるといった具合の事が書いてあった。
ああ、私もそんな小鼓の演奏ができたらいいなぁ。
遠いな・・・
まだまだ遠い。

ところで、現在の人間国宝である堅田喜三久氏は三世である。
どこで勘違いしたのか、二世はぜんぜん遠い過去の方というイメージを持っていたが、実際のところは彼にとっての叔父さんが二世堅田喜三久だったのですね。また、初代堅田喜三久は七世望月太左衛門のお父様。つまり現在の喜三久氏にとって曽祖父にあたる方が名乗っていらっしゃったのですね。
二世堅田喜三久氏という方も小鼓の名手だったらしい。
血統の継承はできても、腕前の継承はなかなか難しいと言われているけれど、そんな定説は嘘っぱちと思わせる華々しい系図が今も受け継がれている。すごいですね。