創邦21-第10回作品演奏会- | fuyusunのfree time

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長唄などの邦楽をこよなく愛する看護師のfuyusunです。
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今藤政太郎氏、杵屋巳太郎氏などジャンル・流派・年代を超えての同人による新作の邦楽演奏会である。
ずっと昔・・・私が生まれる前に、先代の今藤長十郎という名人が「創作邦楽研究会」なるものを立ち上げ、新しい邦楽を発信した。その志をこの会の同人の方々を受け継いで「創邦21」という会を立ち上げたようだ。

川崎の会でご一緒した唄方の方が、この会の文芸同人として所属していらっしゃる。
本日はその方が作詞した曲が二作公開された。


「ひとの四季」
今藤長龍郎氏の作曲の曲である。お琴が入ってとても綺麗な曲であった。
この作曲者はとても力強くイケイケな感じのする三味線を弾くというイメージがある。
ですから、もっと躍動感あふれる曲を作るのかなと思いきや・・・意外でした。
といも繊細な一面もあるのですね。
人生を四季に例えての曲。人生のラストステージを冬。その後にまた春が来る。
つまり誕生を迎える。輪廻転生のイメージですね。

「duo 04」
福原徹氏の作曲。尺八と竹笛&能管のコラボ。
同じ竹製の楽器ですから、音質が似ていますね。
普通の尺八より長めの尺八を使い、尺八の低音と高音の竹笛とのハーモニーの曲かとイメージしたら、
けっこう尺八君は幅広い音域で活躍していた。
それにしても、能管は同じ竹製の笛とは思えないインパクトのある楽器だ。
はあ、吃驚した。

「桜花下巡月」
谷川恵氏の作詞。今藤政太郎氏・今藤政貴氏・今藤美治郎氏作曲。
臓器提供をテーマとした曲。長唄の形式をとった曲でとても聴き応えのある曲でした。
臓器移植法成立を受けて、「臓器提供」を題材に決めたそうです。
まず曲を聴く前に歌詞を読ませていただきました。
臓器移植法の問題において、二つのキーワードがあり、それに対してどう思うかがポイントになると思う。
「脳死は人の死であるかいなか」
「臓器移植は善か否か」
この二点に作者がどう思っているのか、歌詞から感じとることができなかった。
こういう社会問題をテーマにする時は「自分はどう思うか」というスタンスを示す事が大切のように思う。
臓器としての心臓は、血液を全身に送るポンプ機能を持った臓器。
人間の感情をつかさどる臓器は脳である。しかし、「心」「ハート」というと、なぜか心臓の位置にあるが如く表現される事が多い。心が高揚するとアドレナリンの分泌が促されて心臓がドキドキしたりするから・・・なのかしら?
臓器提供で臓器提供者の影響を大きく受けるのは骨髄でしょう。提供を受けた人の血液型がO型でも、提供した人がA型ならA型に変化する。血液型と性格は関連性のないものとされているけれど、でもやっぱりO型性格からA型性格に変化するらしいですよ。
さて、この作品の内容が現在の臓器移植に関連する法律に基づいての臓器提供を題材にしているとしたら、
臓器を提供した人は自分自身の意思において臓器提供を希望したものと思われる。それなのに、その臓器提供を受けた人を恨むでしょうか。いやいや、恨んだのはその許嫁を横取りしたから。しかし、歌詞にもあるけれど「わが心臓を体内に取り込むうえは、そちとわしとはもはや同体」。つまり、提供を受けた人の体内で提供者が生きているようなものです。
もし私なら、提供を受けた彼女の体を借りて許嫁と共に愛を営めるのだから良いと思いますが。
提供を受けた彼女を呪い殺してしまったりしたら、自分の心臓も死んでしまうのですよ。。。
今の法律では、臓器提供をする人、受ける人、双方に互いの情報を教える事はありません。
まあ、このストーリーのように何の因果か出会ってしまう事もあるかもですが、それは非常に低い確率だと思いますね。
また、臓器売買は禁止されている。どんなお金持ちでも貧乏でも公平に臓器移植の機会が与えられているはずです。ただし、すべてが保険適用ではないので、費用的にできるできないは別です。
ですから、どんなに可愛い娘のためでも移植する心臓を買ってくる事はできないのです。
この作品を鑑賞して、医療者として考えさせられました。脳死や臓器移植といった人の死生観に関わる問題ですから、今以上に倫理的にどうあるべきかを考えながら対応していくべきものと考えました。
法律で「脳死は人の死」とされましたが、私はやっぱり心臓が止まってからが死と思いたいです。
ご家族の方々にとっては大切な人の旅立ちですから、ゆっくり人生をまっとうするのを静かに見守りお別れの時を確保してあげたいものです。

「春猫」
金子泰氏作詞。松永忠一郎氏作曲。
ちょっとふっくらした三毛猫をイメージする、私的に可愛い曲でした。
猫を題材にしたものって沢山ありますよね。
同じ猫なんですが、西洋と日本のとらえ方が違うなと感じる。
まあ、化け猫なんぞありますがね。日本は「猫」というと可愛く表現する。気まぐれだけれどのんびりと陽だまりで丸くなっているイメージのものが多い。または、サザエさんの唄ではないけれど「お魚くわえたドラ猫~」。その悪さに対しても「猫を追うより皿を引け」という猫に対する寛容な日本人を感じる。
しかし、西洋は違う。トムとジェリーを観ていると、ずるがしこいけれど間抜け。ネズミにこてんぱんにやられていい気味。そんなイメージがある。劇団四季のCat'sを観ても可愛いというイメージはないですね。どちらかというと怖いですね。

「階(きざはし)にて」
金子泰氏む作詞。杵屋巳太郎氏・清元栄吉氏・米川敏子氏作曲
チベットを題材にした平山郁夫の絵画を見て、宇宙をイメージとして詞を書かれたとか。
チベットというより・・・北京だった^^
宇宙というより・・・中国大陸だった^^
楽しかったけれど、京劇の音楽を聴いているかと思った。
古典の邦楽を聴いていて、あまり中国を意識した事がないのだが、
こうして、この中華風の旋律を聴いていると、これらの楽器はシルクロードを通って海を渡って渡来した事を感じます。
宇宙の果てはどんなところなのでしょうか?
この曲のように楽しく明るい場所なのでしょうか?
宇宙。憧れますね。

さてさて、おかげ様で楽しい一夜でした。たまにはこういう演奏会も楽しいです。ありがとうございました。