昨日の演奏会の『枕獅子』で、
乱序・露の部分で、一般と違う手組みになっていて吃驚した。
露の部分は「天天・・・・・・タタ・・・・~」というのが一般です。
ところが「天天・・・・・・ポン・・・・・~」で吃驚した。
「タタ」の方が繊細な感じがして、花びらの一滴の水滴が落ちる様をイメージするけれど、
「ポン」だと、雪の積もった屋根からドサッと雪の塊が落ちる様をイメージする。
音というのは不思議だ。
この「ポン(乙の音)」で露をやるのは、能の大蔵流の露らしい。
昨日の演奏者はそういうのを取り入れるのが好きな方らしい。
同じく、昨日の『枕獅子』で
狂いの四段目(ラロラ)のところに「八千代獅子の合方」が入っていた。
私の知っているバージョンだと、
乱序で露がなくて八千代に入るバージョンを聞いた事がある。
長唄って、
「で、なければならない」という事がないのですよね。
「八千代」がラロラに入ろうが、乱序のあとに入ろうが、
それはその時の演出なんですよね。
「ポン」であろうと、「タタ」であろうと・・・
そういうのが勉強なのかな。
譜面に書いてある事をなぞっての勉強だけじゃ、長唄の勉強にならないという事ですね。
色々な演奏をこれからも聴いていきたいものです。