三味線をやっていた頃は、毎年今くらいの時期に浴衣浚いがあって、お浚いに向けてのお稽古がけっこう大変だったのを覚えています。
そこのお稽古場では「おつき浚い」(年末にその年の締め括りのような会でした)と「浴衣浚い」があって、浴衣浚いは毎年ホールでお囃子を付けてのお浚いでした。
このお囃子方さん方は超一流の方ばかりがいらしていて、本当に毎年の楽しみでした。
亡くなった大皮の師匠も毎年いらしていました。
(・・・ここでの出会いが、この師匠に付く縁だったのですが)
大皮を始めたの、しばらく周りに秘密にしていました。
でも、ひょんな事でばれてしまいました。
大皮を始めて、初めて迎えた浴衣浚い。
私は「鞍馬山」のタテ三味線でした。
下浚いの当日、当時ちょっとした縁で親しくして頂いていた若手のお囃子さんが、「今日は何を弾くの」と聞いてきました。その場には、同門の仲良しなんかもいたのですが。。。
「えっ、鞍馬だよ。○○さん打って下さるんでしょ?」
というと、淋しそうな顔をして「本当はね大皮を打つ予定だったんだけれど、××先生が『弟子が三味線を弾くので、自分が大皮を打つ』と言ったものだから降ろされちゃったよ」と愚痴っぽく溢しました。
およよよ。。。
(師匠に聞いた時、打つかどうか分からないと言っていたのに・・・)
「ねえねえ、××先生のお弟子さんってどの人」
興味深げに彼は聞いてきました。
やばやば。。。でも、幕が開けばバレちゃう事だし。。。
周りに秘密にしていたのに。。。
「さあ」なんて答えて嘘つきと思われちゃうし。。。
「あのね、そのお弟子さんって・・・・、私の事なのよ」
あの時の皆の吃驚した顔が昨日のように思い出されます。
お囃子方の○○さんが一番吃驚した顔をしていました。
本人の前で愚痴をこぼしていたのですから、ばつが悪かったのでしょうね。
○○さんは、当時まだお囃子方さんになられたばかりで、一曲でも多く舞台に出てお勉強したかったのに、私のせいで番組を急遽降ろされちゃって申し訳なかったです。
でもね、大皮の師匠は、ベテランだったので特別な曲とかじゃないと、こういったお浚い会みたいな時には立小鼓しかやらないのに、私の為に大皮を打って下さるのを知ってすごっく嬉しかったです。
あれから大分月日が経ちます。
○○さんも「さん」付けでお呼びできないくらいに、すっかり立派なお囃子さんになられてしまいました。
先日、衣替えで浴衣なんかを出していた時に、流派の浴衣が出てきて・・・懐かしく当時の事が思い返されてしまいました。

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