テープと違う | fuyusunのfree time

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長唄などの邦楽をこよなく愛する看護師のfuyusunです。
ナースの仮面を脱いだ、fuyusunの日常を綴っています。

○○という曲の三味線を弾いていて、
「先生、これって○○という曲じゃないですね」と師匠にのたまうお弟子さんがたまにいる。
どうしてか理由を聞くと
「伊十郎全集のテープと違う」とか
「長唄の美学と違う」とか・・・
「いやいや、同じ○○です」と言っても、どうも納得しかねるという表情をする。
名人が演奏しているから、あれが正解だと思いこむんですかね。。。

伊十郎全集とか、五郎治全集は舞踊用で録音されているし、美学なんかは観賞用という感じよね。
舞踊用なんて、御簾のお囃子も入っているし、
演奏の場合はこうだけれど、舞踊の時はこれが入ってこう進むとかありますしね。
そうそう、それに忘れちゃいけないのは流派の違い。それから、同じ流派でも、昔と今の違いとかあるしね。
それから、録音物が絶対である訳ではない。一発勝負で間違えていても、そのままGOという事もある。
よくよく聞くと、けっこうありますよ。
亡き師匠が
「テープなんて、ゴミ同然だ」と仰っていた。
ゴミは言いすぎと思いますが、その一瞬一瞬に感動があるものであり、
その時はいいなぁと思っても、何度も聞いているとそうでもない事ってよくある事です。
本当に、観賞用の楽曲なんて、何度も聴くものではないと思いますよ。
だんだん、
「ひどい三味線だ」とか
「あっ、この小鼓・・・間違っている」とか
アラに気がつき、それが気になって仕方がなくなるんですよね。
「さすが名人の演奏は違うなぁ」と感動したら、もうお蔵入りというのが本当は良いのかもしれません。

しかし、
○○という曲を弾いているのに、
今弾いている○○とテープの○○は別の曲と思い込むそのセンス・・・
私には分からない。
まあ、私の事ではないので良いですがね。。。
あちらでも、こちらでも色々とそういう新人類さんがいらっしゃるという話を聞いて思いました。

はあ、しかし「名人だから間違えない」とか止めて欲しい・・・。
前にも書いた「家元だから上手いに決まっている」に共通することだ。
はあ・・・