研修会 | fuyusunのfree time

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長唄などの邦楽をこよなく愛する看護師のfuyusunです。
ナースの仮面を脱いだ、fuyusunの日常を綴っています。

夕方から外部の研修会に参加した。
お題は『がん患者の倦怠感に対する看護』でした。

がんの患者さんは何故、倦怠感が起こるのか。そんな病理学的な事から勉強できて良かった。
ついつい、疲労感と倦怠感と同意語に思ってしまいがちだけれど、
“疲労感”は体が発する黄色信号であって、身体にとって有意義に働くものなんですよね。
しかし、“倦怠感”というのは、病的なものであって、自分にとって害あるものですね。
そうなんだ・・・。違うんだ。と思いました。

痛みも嫌な症状ですが、倦怠感も本当に嫌な症状です。
何せ、「生きる気力」を喪失させる原因になりますからね。
終末期を迎えて、延命は難しいと自覚した時。たぶん、ほとんどの人は、ネガティブ因子になる症状をなんとかコントロールして欲しいと願うと思います。それは、人間としての尊厳をとにかく保持して欲しいという欲求からそう思うのだと思うのですよ。
痛くて痛くて起きる事も出来ない状態。必然的にトイレにも行けない状態。
よく「下の世話をされるようになったら人間はおしまいだ」という言葉を聞きます。そうそう、排泄というのは、それだけ「人の尊厳」に大きく影響を及ぼすものです。
死期が迫ると、痛みも然ることながら倦怠感というものも、患者のQOLに著しく影響するものです。
あなたはどんな最期を迎えたいですか。
そうそう、好きな事をできる限り続けていきたい。私だったら・・・小鼓を打ったり三味線を弾いたり長唄をいつまでもやっていたいです。
家族と普通に接していたい。そばにいて欲しいし、そばにいてあげたい。
きっと人それぞれ色々な願いがあるだろう。
けれど、こういった些細な願いも「倦怠感」によって儚い夢と化してしまう。
どうありたいかは人それぞれだから、インタビューがとにかく重要。
決して自分の価値観を押し付けるマネはしてはいけない。ただただ傾聴して、出て来ない言葉を引き出して、「こうありたい」という願いを患者さんから引き出していく。
文章で書くのは簡単だけれど、なかなか難しい事です。

先日、死期の迫っている患者さんの娘さんが
「何をしてあげたらいいか分からないから辛い」と仰っていた。
本当にそうですね。たぶん、すぐそばでただ座っていてくれるだけで患者さんは嬉しいと思うのですが・・・。まあ、それは私の想像です。
ただ見ているしかない。自分の無力を感じちゃいますよね。
こういう時は「傾聴する」事が大切なんですって。「そばにそうしていてあげるだけでも喜んでいると思いますよ」なんて自分の価値観を押し付けてはいけないようです。
とにかく、患者さんの「こうありたい」という願いをインタビューによって導き出して、その「こうありたい」事に対してマネージメントしていくというのが仕事なんですね。
疼痛とは違って、倦怠感というのは、アプローチしても改善はありえない。だから、とっても難しい看護だと思います。

本日のお題は「がん患者」なんですが、超高齢のうちの患者さんの看護にも使えるかな。
「こんなにボケちゃって、何でも人の世話にならなきゃならないなんて生きている価値がない」なんて、ちょいとしっかりしている患者さんの口から聞いた事があります。
きっと、どんなボケボケの患者さんでも、本当は「こうありたい」というものがあるんだと思うのですよね。その「こうありたい」にアプローチする。なるほどね。
今日学んだこと、けっして余所事の話ではないのですね。勉強になりました。