本多劇場 | fuyusunのfree time

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長唄などの邦楽をこよなく愛する看護師のfuyusunです。
ナースの仮面を脱いだ、fuyusunの日常を綴っています。

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下北沢の本多劇場の誕生は私に大きく影響した。
1982年11月。唐十郎作『秘密の花園』で開幕した劇場。
アングラ劇団の代表格であった唐十郎率いる赤テントの芝居。東京乾電池の江本明と劇団第七病棟の緑魔子が主演。
浮いた浮いたの時代。地の底にある根のパワーを求める時代だったのだろう。
私たち世代の芝居を目指す若者の多くが、「アングラ」という世界に熱中した。
唐十郎の芝居は、劇中のクライマックスに水を使う事が評判だった。嵐の場面とか実際に舞台に放水をするのだ。よって、かぶりつき付近の客席に座る観客には雨具が配られる。
『秘密の花園』も、最前列の席にはカッパが用意されていた。
白熱の芝居。茶碗が飛んで来たり、人形の首が飛んで来たり・・・。噂以上の色々なものが飛んできた。そして、クライマックスに嵐の放水。水がジャバジャバと客席にも飛んできた。
いやいや、杮落しでジャバジャバの放水。プロデュースした本多劇場再度の引きつった笑い顔が脳裏に浮かんだ。
すっかり唐ワールドに酔いしれた。歌舞伎・新派・商業演劇。そういった世界に憧れていた私なのに、すっかり他の演劇を志す若者同様に“アングラ”に熱い熱い興味を覚えた。

杮落し企画第二弾は別役実作の『そして誰もいなくなった』。演出は恩師藤原新平先生だった。
文学座のライバル関係にある俳優座の中村伸郎が客演した。藤原先生に出会って別役ワールドの虜だった私。とにかく別役氏の脚本は読みつくした。
唐ワールドで衝撃を受けた私。別役ワールドもアングラの部類に思うがスマートな感じがしたのを覚えている。
そして、
「やっぱり藤原先生の芝居はすごい。地底のマグマのような強烈な芝居は魅力的だけれど、私の目指す演劇はパワーもあるけれど垢抜けたスマートさが欲しい」
そう思った。

杮落し企画第三弾は斎藤憐作、演出の『イカルガの祭り』であった。俳優座系列の自由劇場の芝居だ。斎藤憐氏は映画化された『上海バンスキング』の作家である。自由劇場に沢山の本を書き下ろしている。
藤原ワールドとは別なスマートさを感じた。
知人が文学座にいた事から、子どもの頃から文学座の芝居を観ていた。ですから、私にとって新劇は文学座の芝居。当時、文学座の看板だった杉村春子先生や大地喜和子が憧れだった。三船の学校を選んだのも、文学座の演出家が講師だからだった。
ひんな文学座一辺倒の私にとって、俳優座系列の芝居というのはとても新鮮だった。

高校生の頃から身近だった下北沢。あの町が大好きでした。
その町にできた素敵な本多劇場。新しくてピカピカのあの舞台に立ってみたい。
そんな密かな願いが芽生え始めていた。
文学座の養成所を受験するか、はたまた本多劇場系列の劇団。本多スタジオを受験するか・・・。
1983年、私の悩める乙女。二つの思いが常に葛藤していました。