最近、やっと『二人猩々』の手が入ってきた。手がきちっと入っていない状態だと、曲は聞こえているけれど頭の中では手順ばかりを追いかけている。つまり、曲は聞こえているようだけれど流れているだけという感じだ。
最近、歌詞が聞こえてくるようになった。さすが、お酒が大好物の「猩々」の曲。お酒の事ばかり言っているなぁ(笑)
ところが
「酒は葡萄酒養命酒、保命酒、薩摩の国の泡盛~」という場所になって、あれっ?と思い手が止まってしまった。
「薩摩の泡盛」???!泡盛って沖縄・・・つまり琉球のお酒じゃないの?!
と思ったからです。
泡盛は沖縄県のお酒で、インディカ米を黒麹で発酵させて、そのモロミを蒸留させた乙類焼酎に分類されるお酒である。
しかし、なぜ「薩摩の国の泡盛」なのだろうか?
現在の沖縄県。ここには琉球王朝があった。琉球王朝は日本と清(中国)と両方の国に属する国だったらしい。何故そういう立ち場を取っていたかは、ちょっとやそっとの勉強じゃ分からないけれど、たぶん王朝を守る手段はそれしかなかったのでしょうね。
そんな訳で、琉球は日本と清とどちらの国に貢物をしていたらしい。極上の泡盛は貢物の一つで、薩摩の島津を通して江戸幕府に献上されていたらしい。
ああ、だから「島津の泡盛」という認識になったのかも知れませんね。
さてさて、江戸時代の琉球は日本側は島津藩によって統轄されていた。でも、明治維新になって廃藩置県が行われて、琉球は明治政府によって強制的に琉球王朝を廃止されちゃって沖縄県。
でも、琉球って中国にも属していたので、中国とも一悶着あったようですが、結局、色々な過程があって日清戦争で日本が勝利した事で「琉球は日本」と一応決着したようだ。
まあ、未だに「琉球は中国」と認識している方もいるようだが・・・。
小学校低学年だったかな・・・。アメリカから沖縄が返還された。以来、沖縄は日本と認識している私。琉球は独立した王朝があったけれど島津に牛耳られていたという認識も当然ありましたが、そういった複雑な歴史があったなんて知りませんでした。
「薩摩の泡盛」でちょっとだけ知識が増えた。またまた長唄に感謝だ。
『二人猩々』は進化の曲である。
もともと、江戸時代の河原崎座で寿狂言で演奏された曲なのだそうですが、いつの間にか絶えてしまった曲らしい。でも、明治になって九代目団十郎が掘り起こしたんですね。竹柴金作の作詞、三世杵屋正治郎によて作曲。大薩摩と掛け合いの作品だったらしい。そして、大正九年、四世杵屋巳太郎編曲で市村座で上演されたのが今の『二人猩々』らしい。
そういえば、
「養命酒」というと滋養強壮の効果がある養命酒。今は原田美恵子氏(だったかな)が宣伝している薬用養命酒。この歌詞に出て来る「養命酒」とは別物ですよね。と思いきや、いやいやそうでもないらしい。
何せ、慶長年間、関ヶ原の戦いの前からあるらしい。信州の山奥で雪の中倒れていた老人を助けた塩沢宗閑翁。その老人から教わったのが「養命酒」の作り方なのだそうだ。塩沢家とは今の養命酒製造の創始者。1602年に製造開始。1603年には徳川家康に献上したというのだから吃驚。もっと吃驚は赤穂浪士が養命酒を飲んでいたという記録があるのですって。
ちょっと吃驚・・・。そんな昔からあるお酒(?)なんですね。
本当に長唄を斜めに鑑賞すると面白い事ばかりだ。
しかし、
「えっ??!」と思って、手が止まってしまうのはいただけない事である。まだまだ修行がたりないでござる。