長唄『島の千歳』 | fuyusunのfree time

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長唄などの邦楽をこよなく愛する看護師のfuyusunです。
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この曲は、明治37年に四世望月長九郎が七世望月太左衛門を襲名する際に、襲名の披露曲として、五世杵屋勘五郎が作曲した長唄です。作詞は大槻如電という人です。
望月太左衛門と言う人は、歌舞伎・長唄囃子の望月流の家元の前です。この方は、後に三世望月朴清となられますが、後世に名を残す名人なんだそうです。
昨年亡くなられた望月朴清氏や、人間国宝の堅田喜三久氏のお爺様に当られる方だそうです。
また、現在の望月流のお家元の曾おじいさん♪

さて、“島の千歳”は白拍子の元祖のような女性の名前だそうです。
鳥羽院の頃、島の千歳と和歌の前という二人の女性が絵のような格好をして男舞を踊った事が始まりなのだそうだ。
この“千歳”は“ちとせ”なのだそうですが、これを“せんざい”と読ませたのは、『翁千歳三番叟』の千歳(せんざい)をダブらせたみたいです。

小鼓一調の曲で、気品があって背筋がピンとなるような曲です。
安芸宮島の厳島神社の能舞台のような場所で美しい白拍子が静々と舞っている。そんなイメージの曲です。
この曲は望月流にとっては特別な曲とされているようですが、けっこう今は流派を超えて演奏されています。
亡くなった師匠の稽古場で、Eちゃんがお稽古していたのを私は見学していた事があります。
Eちゃんは、私なんかと違い根性の人だったので、師匠にいくら厳しく指導されても涙一つ見せないクールな人でしたが、さすがにこの曲の時は、ティッシュとゴミ箱を手元に置き、鼻をグスグスしなからお稽古していました。
うぉっ!噂には聞いていましたが、すごい曲なんだなぁと感動していました。
師匠曰く、
「島の千歳は、囃子にとってその辺の長唄とは違うんだ。普通は教えてもらえないんだ。許し物といって、誰でもやっていい曲じゃないんだぞ!」
今はどうなんだか分かりませんが、その昔はこの曲を演奏するという事は大変な事だったらしいです。
お名前をとって、名披露目でやりまーす♪ではすまないような曲なのだそうですよ。
『島の千歳』とはこういった出会いのある曲なので、私の中では特別な曲なのです。
目標の曲。いつかこの曲を舞台で演奏できる事を夢見ている。
確かに、曲を聞いていると、ただできれば打ててもつまらない曲です。
そこハートが存在していなければなりません。
心技が融合して、長唄や三味線の人三位一体で表現する芸術のように思います。

はあ、憧れだなぁ。
こんな曲をできるようになるのだろうか。いやいや、なると思ってやらなければ。
頑張るぞー♪



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