私の本質的な人生:校庭でクルクル踊る | ふわり、言の葉|鵜飼秋子

ふわり、言の葉|鵜飼秋子

言葉が、ふわり、想いとなって届きますように。
本質的な叡智のバトンに参加しながら、人という存在のこと、そこに流れる人生のことを綴っています。あなたの人生を選択する道しるべとなることを願って。

 
 
小学生の頃、私は東京の学校に通っていました。
 
名古屋で生まれ、父の転勤をきっかけに東京に移り住んだのが5歳。
それから中学2年生の14歳までは、杉並区善福寺のあたりに住んでいました。
 
 
小学校の校庭には「マンモス」とみんなが呼んでいた、木造のアスレチックジムがあり、その周りに、うんていやブランコ、砂場、ジャングルジム、鉄棒がありました。子供たちの間でも、マンモスは特に人気がありました。
 
しかし、私は、さほど遊具で遊ぶのは、好きではありませんでした。
誰かに誘われれば一緒に遊ぶけど、遊具そのものには興味がありません。
 
授業の合間の、休憩時間。
多くの子供たちが、校庭にわーーっと出ていって遊具で遊んでいました。
 
 
 
そんな中、私は一体何をしていたのかというと…
 
ぼーっとみんなが校庭で遊んでいる様子を見るともなしに見ていました。
 
みんなが、わー、きゃーと言いながら動き回って遊んでいる風景。
 
その風景を見て、しばらくすると…
 
私は、校庭の真ん中にいって、クルクルと踊っていたのです。
 
 
 
誰かと一緒に踊るのではありません。
一人で踊ります。
 
誰に見てもらわなくてもよくて
だけど、ドッジボールや鬼ごっこをしている子の邪魔にはならないように
 
のびのびと、ピョンピョン、クルクル踊るのです。
 
 
どのような踊りかと言いますと、
バレリーナや、新体操選手をイメージしてもらえたら良いでしょうか。
 
ツー、タッタッタと助走をつけ、足を前後に開脚して着地。
両腕を上にあげて、クルクルとスピンして、意気揚々と踊って遊んでいたのです。
 
 
 
 
その時
私は、一体、何がしたかったのか…?
 
誰かに見てもらわなくてもいい。
でも、誰かに見られてもいい。
誰かの邪魔にならないように。
でも、のびのび踊りたい。
 
それよりも、何よりも…校庭の周りで楽しげに遊ぶ子供たちを見ていた。
あの、ぼーっとした時間は、一体何!?
 
 
 
自分のことながら
何のために踊っていたのか
まるで意味がわかりません。
 
私には、3歳年下の妹がいますが。
妹は、校庭に出るたびに「お姉ちゃん、また、踊ってる…」と、
鉄棒の上から不思議に思っていたそうです。
 
ちなみに、妹は鉄棒が好きで、鉄棒でクルクル回っていましたが
私には、その行動の意味はちゃんとわかります。
「鉄棒が好き、だから、上手くなりたい」のだ、と。
 
 
 
小学校の校庭でクルクル踊り続ける私。
 
その行動は、特段、問題視するようなことでもありませんでしたから
大人になってからは、思い出すこと自体も無くなっていきました。
 
 
 
 
そんなある日のこと。
バトンで、先輩にこう言われました。
 
「秋子は、アラレちゃんだよ。もしくは、走り回るガキんちょ。
 
わーい♪と言って右に走ったと思ったら、わーい♪と言って、左に走って。
わーい♪と言って、前に走っていく、そんなイメージ。
 
ただただ、わーい♪といってどこかへ走るガキんちょ」
 
その瞬間
私は、なぜだかものすごく腑に落ち…
 
さらに
あの、校庭でのことを思い出したのです。
 
 
 
そうです。
 
私は、みんなと一緒に遊ばなくてよかったのです。
みんなが、どんな風に遊んでいるのか、それを事細かに知る必要もない。
 
ただ、休憩時間になると
みんなが校舎から、わーっと飛び出していって
 
マンモスの上で、鉄棒で、ジャングルジムで、
様々に遊び、動き回っているのを感じるだけでよかったのです。
 
それが、嬉しくて楽しくて
それで、校庭の真ん中で「歓びの舞(笑)」を踊っていただけなのです。
 
 
ぼーっとみんなを見ていたのは
 
みんなが「動いてる様」を、ただただ感じている時間。
歓んで舞い出すための、アイドリングをしている状態なのでした。
 
 
しかし
腑に落ちたのも束の間。
 
もう一度、私は頭の整理をしました。
 
 
「ちょっと待て。
先輩は、さっきこれを本質と言った?
 
これが?
 
このアラレちゃん状態が?
この歓びの舞、状態が?
 
これが、私の本質?」
 
 
はい。
 
これが、あなたの本質の動き^^
 
 
 
先輩に、目で
 
そう言われた気がしました。
 
 
 
 
 
念のため申し添えておきますが
私は、アラレちゃんのようなキャラクターではありません。
ガキんちょキャラでもない。大人になってからは、行動として歓び舞うこともありません。
 
ただ、フィーリングとしては
常に、このような状態の中にいるのです。
 
みんなが
さまざまに動いている風景。
 
その中で、動き続ける私。
 
この状態を、幸せだと感じ続けています。
 
 
 
 
本質は
常に、フィーリングの中にあります。
 
時として
私の、このフィーリングを
 
「人に『興味がない』が『ない』」
 
という言葉で表すこともありますが…
 
フィーリングは
 
こうして
本質の動きを伴った具体的な世界として現れます。
 
 
 
そして
 
本質の動きは
出来事に対する「反応」として現れ続けているのです。
 
小学生の時の休憩時間
という出来事のように
 
そのことは
 
本質の動きが、つねに
現実的な人生を舞台としながら、表現されていくことを意味しています。
 
 
 
 
小学生の時。
校庭の真ん中でクルクル踊っていた私。
 
 
 
現実的に
他者を想うということを知った、今。
 
 
 
その「私」が
本当の私自身だったと感じています。
 
そして
 
そのオリジナリティは
つねに、私の人生で、表現され続けていくのです。
 
 
 
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《そらに》人生のグランドデザイン
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①「本質的な叡智のバトン」:はじめて参加するまでのこと

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②「本質的な叡智のバトン」:グループセッションに臨むために

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③「本質的な叡智のバトン」:本質的な人生へのアプローチ

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