当時、大阪に住んでいたわたくしは、早朝の地震の大きな揺れで目を覚ましましたが、よもや神戸のほうであのような大きな被害が出ているとは思いもしませんでした。
しかし、朝の7時のニュースを聞いて、それから出社してから刻々と深刻な被害状況を耳にすることになります。
午後になって得意先の懇意の総務部長から電話がありました。
その会社の社員寮が神戸市灘区の六甲のほうにあり、水と食糧、そして毛布を車で運んでほしい・・・と。
得意先からの緊急要請でもあり困っている人たちへの人助けでもありますから、二つ返事で了承。
その得意先が準備した水やお茶のペットボトル、お弁当、そして毛布を積めるだけ積んで軽トラで出発したのは夕方の5時頃でした。
大阪の都島区にある得意先の会社から神戸の六甲を目指しました。
震災当日は、まだ通行規制がなかったので車での通行はできたのです。
国道42号は阪神高速道路が倒壊しています。
その倒壊した高速道路の下敷きになってペシャンコに潰された車の横を通ったりしました。
主に2号線沿いを走りましたが、神戸一体は電気が止まっているのでほんとうの真っ暗闇。
2号線沿いの建物の被害は凄まじいもので、まさに廃墟のなかを行くという感じでした。
都市ガスが洩れていて異様な臭いのする道も通ったりしましたが、ふつうなら約1時間で行けるところが3時間くらいかかって到着したのを覚えています。
社員寮に着くと建物の被害はなかったようで、持って行った毛布や水、お弁当を渡すととても喜ばれていました。
・・・・・
話は変わって、
細川内閣・・・1993年(平成5年)8月から1994年(平成6年)4月。
羽田内閣・・・、1994年(平成6年)4月から1994年(平成6年)6月。
村山内閣・・・1994年(平成6年)6月日から1995年(平成7年)8月。
3年の間に3つの内閣が誕生。
このときは日本新党、新生党、新党さきがけ等、新党設立ブームでいずれの政権も寄り合い所帯。
ですから短命に終わったのは仕方ないかも知れません。
さて、神理では、天変地変とは天の乱れが地の変を起こすとお教えいただいています。
天とはときの日本のトップの政治家ともいえます。
村山内閣のときに阪神淡路大震災が起こりました。
まだしも幸いだったのは、村山内閣のときは自民党の有力政治家が内閣に入っていたので、震災の復旧復興も迅速だったと思います。
それに較べて、2011年の東日本大震災のときはご存知の民主党の菅内閣のときです。
福島原発のいまの状況も、もし、自民党政権のときだったらもう少しましなものになっていたかも知れません。
こうしたことを知っていますので、自民党政権のいまの岸田内閣の支持率は低迷のままですが、何とか頑張ってほしいと思っているところです。
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主宰 田中宏明
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