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自己受容から広がる世界~ゆるなら風舎~

くにのまほろば《奈良》大和郡山市で
『カウンセリングルーム風舎』を営んでいる女性カウンセラーの日記です。
カウンセリング・箱庭療法・心理学レッスン・セラピスト支援などをしています。

小籔千豊さんが車椅子の女性がタクシーに乗るのを手伝った

という話が、SNSで流れてきました。

 

その女性に

「手伝いましょうか?」と声をかけた小藪さんは

「言うても、何したらええかわからんので教えてください。」

と言ったそうです。

 

「何したらええかわからんので教えてください」

これって、物凄く大事なことだなぁと思いました。

 

誰かが困っていそうだなとか

何か困っているんじゃないかなとか

そう思いながらも、結局声をかけなかった。

そんな体験がある人って、結構いるのでは?

 

声をかけない理由はいろいろあると思います。

 

かえって迷惑だろうか?

と考えすぎてしまったり

相手が子どもだったりすると

不審者かもと怖がられるんじゃないかと躊躇したり

 

そして、ありがちなのが

「手助けしたいけど、何をしたらいいのかわからない」

というとき。

 

何をしたらいいのかわからないのに・・

できるかどうかわからないのに・・

なんて思うと、声はかけ辛くなりますね。

 

小藪さんのエピソードを知って

なるほど!

と膝を打ちました。

 

本人に聞けばいいんだ!

 

 

その人のことはその人から学ぶ。

仕事柄、そんな毎日を送っているにも関わらず

思いつかなかったなぁ。。

 

わからなければ、本人に聞く。

これでいいんですよね。

 

そして、時と場合によっては

わかっていると思っていても、本人に聞いてみるということも

大切なことかもしれません。

 

 

 

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生きるということは

なかなかどうして大変なことです。

 

傷つくことなく生きるということは不可能で

時には、物凄い傷を負うこともあります。

繊細ならば尚更、そう。

 

大切な人には傷ついてほしくないから

「守らなきゃ!」って思うのは当然で

そのために一所懸命になることは、決して悪いことじゃない。

 

それでも

敢えて、手を出さず見守ることも必要。

 

「傷つかないように」と過剰になるのは

「傷つく」体験を奪うことで、「傷を治す」体験も奪うこと。

 

傷つく権利は誰にでもある。

 

傷ついて、痛くて泣いて、

そして、その傷が治癒していくということを知る。

見守ってくれる人がいることを知る。

痛いって泣いてもいいことを知る。

ヘルプを出してもいいんだと知る。

 

ひとつの傷が、人の力を育むことがある。

自分には力があると気づくことへ繋がっていく。

 

生きるということは

なかなかどうして大変なことなので

生き抜く力を実感し、磨いていくんだ。

 

大切な人を「守らなきゃ!」と感じているあなた自身だって

そうやって、生き抜いてきたはず。

 

傷ついたら、そこで終わりじゃない。

傷ついたって大丈夫、回復する力があるのだと伝えるために

必死で持たせようとしている「転ばぬ先の杖」を1本、手放してみないか。

 

 

 

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悲しいことがあったばかりのYさん

 

「曼荼羅を描きたい」

とのことで、お見えになりました。

 

「青にばかり目がいきます」

そう言いながら、ゆっくりと丁寧に色を重ね

「大きな形で、少なくていいな」

と、形をとられていました。

 

出来上がった、Yさんの作品

 

 

海にも見えるし、空にも見えます。

しっかりとした、まっすぐな思いを感じます。

 

外へ流れることのない涙は

Yさんの内面に浸みこんでいるんですね。

 

「喪失というのは、次なるステージへ上がるということですよね」

そんな思いを込めて

<卒業>と、タイトルをつけられました。

 

 

わたしの作品

 

 

色を塗っていくと

どういうわけか、モネの水連のような感じになりました。

 

生まれて生きて死に行く。

わたしたちもまた、自然の営みの一部だなぁ。

そんなことを思いながら描き上げた作品です。

 

タイトル <命の光>

 

 

深く静かで厳かな時間を過ごしました。

 

 

 

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「惚れてしまえばアバタもエクボ」

という古い言葉があります。

 

この言葉の巧みなところは

アバタはアバタであり、エクボではないと

わかった上で

エクボということにしておこう、かわいいよねというところ。

 

言い換えれば

本気でエクボと思っているわけではなく

それはアバタなんだけど

アバタのあるままでも、その人が好きということなんですね。

 

人は皆、複雑な多くの要素を持っていますから

どんな人でも

「ここは嫌だな」

とか

「こういうところは(自分からみたら)欠点だな」

とかいうところは

あって当然ですね。

 

そして

それを含んだ上でも、「全体として好ましい」と

「好き」と感じるのだと思うのです。

 

「好き」だからといって

嫌なところが全くないというわけではありません。

 

だから

嫌なところを見つけたからといって

「好き」をやめる必要はないし

嫌なところを無理矢理消す必要もないんです。

 

「あの人のこういうところは嫌」

というだけのことなのだから。

 

これは自分についても言えることで

 

「わたしにはこんな嫌なところがある」

とわかっていても

自分を好きと感じるのは

おかしいことではないし

嫌なところを無理矢理消す必要もないんですよ。

 

 

 

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6箱目は、季節の飾りでした。

 

クリスマス飾り

 

 

 

夏の飾り、いろいろ

 

 

お部屋に飾ったり飾らなかったり、自由にできるみたいで

どうしようかなぁ。。と考えています。

 

出来上がりのハウスには

様々なアイテムは固定で貼り付けてしまう予定なので

全部飾るとゴチャゴチャしそうだし

クリスマス飾りは、別に小さな部屋を作ろうかしら?

 

12箱目まで出来てから考えようっと。

 

作っていて楽しかったのは

ツリーの飾りたち

 

それと、七面鳥

 

美味しそうでしょう。

 

 

 

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