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自己受容から広がる世界~ゆるなら風舎~

くにのまほろば《奈良》大和郡山市で
『カウンセリングルーム風舎』を営んでいる女性カウンセラーの日記です。
カウンセリング・箱庭療法・心理学レッスン・セラピスト支援などをしています。

シャビーシック風ドールハウスを、ちょっと休憩して

ブックヌックのカフェを作りました。

 

先日、父のところへ行ったとき

ドールハウスを1つ持って行って見せたんです。

 

それは人にあげることが決まっていたもので

その後、渡す予定だったため持っていて

せっかく持っているから、父に見せたんですね。

 

「今、こんなの作るのに凝ってるの」

 

そしたら、父も1つ欲しいというんです。

 

びっくり!!

 

「それじゃあ、今度持ってくるね」

と約束しました。

 

せっかくだから、父の好きそうなものを作ることにしました。

それで、作ったのがこれ。

 

 

幅15センチほどの小ぶりのもの。

片手に乗るくらいかな。

ブックヌック(本棚に収納できるもの)なので

カッチリしていて、壊れにくくていいかなと。

 

灯りのスイッチはタッチセンサーで

右手に麻痺が残っている父でも大丈夫。

 

灯りをつけると、こんな感じ

 

 

真っ暗にするとこうなります。

 

 

古い映画に出てきそうなカフェ

 

喜んでくれるかな。

 

 

 

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 自分が何かできると思うな

 寄り添うしかないだろ

 

  (「エンジェルフライト THE MOVIE」)


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国際霊柩送還は

海外で亡くなった方を日本へ、または、日本で亡くなった方を海外へ送還する仕事です。

 

「(遺族に)何もしてあげられない」と泣く社員に

社長(主人公)が言います。

「自分に何かできると思うな、寄り添うしかないだろ。」

 

ああ、本当にそう。

 

深い悲しみやどうしようもない辛さに苛まれている人に対して

「何かしてあげよう」ということは不遜なことです。

 

どれほどの痛みか、どのような苦しさか

その人にしかわかり得ないのだから、

自分には「わからない」ことを心得た上で

「何もできない」自分を、自分自身で引き受けて

寄り添い、共にいるしかありません。

 

そして、そうやって共にいるというのは

おそらく、ある種の覚悟のいることなんですね。

 

 

 

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カウンセリングでは

ずっと蓋をして、感じないようにしてきた気持ちが

浮かび上がってくることがあります。

 

心の蓋が開くんですね。

 

気がつくと蓋が開いていて

「あ、、こんな気持ちがあったんだ」

とわかる場合もありますが

 

心の奥に何かがあることはわかっても

蓋を開けることに抵抗があって

立ち尽くすこともあります。

 

ちゃんと自分の心の奥と向き合わなければ、、

もう蓋は要らないんだから、取ってしまわないと、、

と思うものの

どうしても先へ進めない。

 

こんな状態に陥ることがあるのです。

 

あたりまえなんですよ。

 

その蓋は、とても大切なもの

自分が生き抜く上で、欠かせなかったものなのだから。

その蓋は、日常を生きていけるように、自分を守ってくれたのだから。

 

そんなとき、わたしは言うのです。

「大切な蓋なんだから、大事にそっと扱ってあげてくださいね。」

 

 

蓋をしてきた気持ちは大切です。

そして

その蓋も大切なんです。

長年、自分のやわらかい心を守ってくれた、自分の大切な一部ですから。

 

蓋してきた気持ちは、その蓋ごと大事にする。

そんな心持ちで

わたしは、クライエントさんと共にいます。

 

 

 

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人はつい

自分の基準で、他者の幸せまで測ってしまいます。

 

打ち込める仕事があることに喜びを感じていると

「好きでもない仕事をしてるなんてかわいそう」

と言ったり

愛するパートナーを得て幸せだと

「パートナーがいないなんて、人生損してるよね」

と言ったりね。

 

そんなとき

「かわいそう」とか「人生損してる」とか

言われた方は、大抵嫌な気持ちになるもんです。

 

「自分勝手な基準で、わたしを勝手に不幸にしないでくれないかなぁ?」

といったところでしょうか。

 

誰だって、自分一人の人生しか生きられませんから

自分の体験、自分の感覚が全てなのです。

そして

全く同じ体験で、全く同じ感覚の人は一人もいません。

 

どういったことに、どんなふうに幸せや喜びを感じるのかは

人それぞれ。

 

自分の基準だけで推し量り

「あなたは幸せ」「あなたは不幸」と決めつけることは

とても失礼なことだし

もし、そんなふうに決めつけてくる人がいても

耳を貸す必要はありません。

 

「勝手なこと言ってるなぁ」

「余計なお世話だわ」

と、スルーしてしまえばいい。

 

安心も幸福も喜びも

自分の感覚ですから

誰がなんと言おうと、大切にしていればいい。

 

いつも一点の曇りもなく安心

いつも一点の曇りもなく幸福

いつも一点の曇りもなく喜びに満ちている

なんてことは、ありませんから

そのときの安心

そのときの幸福

そのときの喜び

を大切にすることです。

 

誰がなんと言おうと

自分の感覚を大切にしていればいいのです。

 

 

 

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とてもとても辛くて苦しくて

「自分を取り戻したい!」という方へ

わたし自身が自分を取り戻した体験を、ご紹介します。

 

 

子育ての中で、わたしが体験したことです。

 

イケメン3号のことで、心配事があったときの話です。

 

子どもの心配事というのは
大抵、親ができることは少ないものです。

わが子とはいえ、別の人間

手助けはできても、問題の肩代わりはできませんから。

 

例に漏れず

当時、わたしにできることは少なく

なかなか心が休まらない日々を過ごしていました。

 

その後、なんとか解決の兆しが出てきて

ほっとしていた矢先

また、新たな問題が浮上。

 

心臓の辺りがざわざわして

全身が「心配な気持ち」に支配されているみたいで

苦しくて苦しくて

心の中で叫びました。

 

「この期に及んで、なんなの!

まだ心配しなくちゃいけないの?

なんで、また心配かけるの?この子は!」

 

すると、ひらめいたのです。

 

「ん?3号は心配して欲しいのかもしれない。」

 

そして

 

「なぁんだ。それなら、思う存分心配してやろうじゃないの!」

 

当時、彼の問題について

具体的に、わたしがしてやれることはなかったけれど

「心配」ならいくらでもできるのですから。

 

「思う存分、心配する」

と決めたわけです。

 

すると

あら、不思議。

心臓の辺りのざわざわが治まり、苦しくなくなりました。

 

「心配な気持ち」が

わたしを支配するものから

わたしの一部に戻ったんですね。

 

「心配したくないのに!」

と「心配な気持ち」を拒絶しているときは

主導権は「心配な気持ち」にあります。

 

けれども

「思う存分、心配してやろうじゃないか!」

と思った瞬間

主導権は「わたし」になったんです。

 

わたしはわたしを取り戻したわけです。

 

 

そうそう

3号の名誉のために付け加えておきますが

実際に、彼がわたしに心配して欲しかったわけではありません。
もしかしたら、そうかもしれませんけれど

全然違うかもしれません。
彼のことは彼にしかわからないし、確認していません。
上記は全て、わたしの心の中で起こったことです。

 

全て、自分の心の中で起こったことなのですけれど

なかなか面白い考察ができました。

 

 

 

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