わかろうとしている相手との喧嘩は徒労に終わることが多い | 自己受容から広がる世界~ゆるなら風舎~

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くにのまほろば《奈良》大和郡山市で
『カウンセリングルーム風舎』を営んでいる女性カウンセラーの日記です。
カウンセリング・箱庭療法・心理学レッスン・セラピスト支援などをしています。

昨日の記事「わかろうとしていない相手との喧嘩は不毛」の続きです。

 

では、わかろうとしている相手との喧嘩は?

これは、実は徒労に終わることが多いのです。

 

 

大人になってから

「喧嘩してでも話すべきよ!でないと、わからないでしょう?」

と言う人が現れました。

 

その人は、わたしをわかろうとしていました。

わたしのことを理解したいと心から思っていることが

とても伝わってきました。

 

わかろうとしてくれているので

初めから喧嘩になることは、もちろんなかったのですが

自分がわかるまでは引き下がってくれません。

 

喧嘩になりそうになって

わたしが

「喧嘩してまで話すことではないでしょう。もういいでしょう。」と言うと

その人は言ったのです。

「喧嘩してでも話すべきよ!でないと、わからないでしょう?」

 

ああ、そうか。

心からわかろうとしている相手には

喧嘩してでも、しっかりと伝えることも必要なんだと

わたしは、思いました。

ですから

喧嘩になっても、話してみることにしたのです。

 

 

けれども

それは徒労に終わりました。


考えてみると、あたりまえなんですね。

喧嘩になる時点で

一方は理解不可能であり、一方は説明不可能である

という状態なのですから。

 

 

わかりたいという気持ちは大切ですが

どんなに説明してもわからないことがあるのです。

 

たとえば

豆腐を見たこともない人に

豆腐の味や食感を説明することはできません。

相手が食べたことのある

似た味のものや似た食感のものに例えれば

ある程度は伝わりますが

似た味のものも似た食感のものも食べたことがない場合

それはとても難しい。

 

では、どうすればいいのか。

わからない部分を

お互いに尊重すればいいんです。

 

 

静かに話してわからないことは

喧嘩してもわからないのです。

 

喧嘩というのは

尊重し合うこととはかけ離れているので

たとえわかりたいという気持ちがあったとしても

喧嘩は徒労に終わります。

 

尊重がないところに理解は生まれない。


「わからないことはあるよね。」

「そうだよね。」

そう言い合えるところから

相手を理解するということが始まるのかもしれません。

 

 

あ、もちろん

ただ腹が立って喧嘩になるということはありますよ。

人間ですもの。

 

 

 

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