アメブロさんが知らせてくれた、8年前の記事です。
読み返してみると
この「わたしの三箇条」は、なかなか出来がいいなぁ
と思いました。(自画自賛(^.^))
元々、わたしは自分にスパルタな人でした。
「I am OK.You are OK.『I』が先ですよ。」
なんて、今は偉そうなことを言っていますが
昔は、わたしは自分にはなかなかOKを出さないという
なんともトホホな人だったんです。
なにしろ自分の罪は自分自身が知っていますので
わたしは自分が「悪い奴だ」と決めてしまっていたんですね。
「誰も傷つけないくらい強くなりたい」
なんて、本気で思っていましたしねぇ(遠い目・・)
不完全な自分が許せなかった。
人間って不完全なものなのにねぇ。
今にしてみれば
何を目指していたんでしょう。仙人?聖人?
心理学を学ぶより前のことです。
あるとき、ふと口をついて出た
「わたし(みたいな悪い奴)なんか苦しんで死ねばいいのよ。」
という言葉に、友人が言ったのです。
「そうやって自分を責め続けることで、あなたは何がしたいの?」
パッと視界が広がった瞬間でした。
自分を責めることに何の意味があるのか?
責めていたら許される気になる?
え?
いったい誰に許される?
自分?
いやいやいや、、それはおかしい。
やってしまったことは取り消せない。
それが罪だと思うなら、抱えておくしかないじゃないか。
罪悪感を持つことはしかたない。
必要だったりもする。
でも、過剰に責め続けることで何が得られるんだ?
自分ばかり見つめていないか?
顔をあげて友人を見ると
彼女は、責めるでもなく慰めるでもなく、ただきょとんとしていたのです。
なんて視野の狭いことかしら。
自分ばかり見て、自分を責め続けていたら
できることがあっても見逃してしまうし
エネルギーダウンして、動けなくなるじゃないの。
わたしは生きているのだから
今をしっかり生きることだわ。
母の教えが浮かびました。
「できることせな、しゃあないからなぁ」
力が抜けました。
そのときに決めた三箇条です。
・罪を美化しない
・無駄に自分を責めない
・今できることをする
当初は、何度も思い出し反芻する必要がありましたが
今となっては、すっかり自分の中に定着しています。