優しくなければいけない
って決めてしまうと
冷たい自分を認められなくなります。
美しくなければならない
って決めてしまうと
醜い自分を認められなくなります。
強くなければならない
って決めてしまうと
弱い自分を認められなくなります。
「優しい」も「冷たい」も
「美しい」も「醜い」も
「強い」も「弱い」も
全て、自分の中にあるものには違いないのに
認められない部分ができてしまうんですね。
どれも「あるもの」として
その存在を認めて
「冷たい」や「醜い」や「弱い」にも
「優しい」や「美しい」や「強い」と同様に
自分の中に居場所をあげられるといいなぁと思うんです。
いろんなものが
ごちゃごちゃといっぱいあって
それが人というものですもの。
ごちゃごちゃいっぱいのおもちゃ箱がわたしなんだ。
なあんて思ってみると
ちょっと楽しくなってくるかもしれない。
おもちゃ箱をゴソゴソしていたら
「あ、こんなの見つけた!」っていうものがあって
「わーい!」っていうものもあれば
「うへぇ~、なにこれ」ってものだってあるけれど
どれにもちゃんと場所をあげてお片づけすれば、いい感じ。
「ねばならない」をちょっとお休みして
自分の中のおもちゃたちを眺めてみると
愛しい感じがしてくるかもしれませんね。