友人が鏡になってくれて、気づいた感情 | そのままでいいよね☆ゆるなら風舎

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くにのまほろば《奈良》大和郡山市で
『カウンセリングルーム風舎』を営んでいる女性カウンセラーの日記です。
カウンセリング・箱庭療法・心理学レッスン・セラピスト支援などをしています。

最近、自分が気づかないまま持ち続けていた気持ちに

気づく機会がありました。

 

25年ほど前の出来事について

友人Aが度々怒るんです。

 

それは

Aとはまだ出逢っていなかったときに

わたしに起こった出来事。

 

ある人(B)に言われたことで

わたしはとても傷ついたのです。

ただ、その傷はもうすっかり過去のものになっていて

今は思い出しても、全く痛くないんですけれどね。

 

Aに初めてその話をしたとき

Aは怒りました。

「それってどういうこと?そんなこと言う必要ある?」

 

「わからない。けど、Bには言う必要があったんだと思うよ。」

これは、わたしの本音で

傷ついて苦しかったときも

ずっとそう思っていましたし、今でもそう思います。

 

だから

「それって怒ることなんだねぇ」

なんて、返していたのですが

 

Aはその出来事を思い出しては、度々怒るわけです。

そして、わたしは

本気で怒っているAには悪いけれど

苦笑しながらも、Aの気持ちが嬉しかったりするのです。

 

わたしは腹はたたなかったけれど

Aが代わりに怒ってくれてるんだなぁ、、

なんて思っていました。

 

ところが

つい先日のこと

また、その出来事を出してきてAが怒ったときに

わたしの中に、同様の怒りがあったことに突然気づきました。

 

あ、、わたし怒ってたんだわ。

 

その出来事があったとき

Bは本音を言っただけで、わたしを傷つける意図は全くないことを

わたしは理解していました。

それでも、わたしは酷く傷ついたんです。

 

(例えて言うなら、失恋のようなものですね。

とても好きな人から「NO」と言われれば

とても傷つきますよね。

気持ちは、本人でさえコントロールできるものではないので

相手が悪いわけではないし、自分だって悪くはないのだけれど

それでも、とても傷つきます。)

 

そして、その傷から解放されたとき

わたしは心底ホッとしたのです。

やれやれ、楽になったって感じかな。

 

ところが

傷ついて苦しかっただけではなく

どうやら、わたしは怒ってもいたみたいです。

ただ、あまりにも傷ついていたので

その手当てに集中してしまい、「怒り」の方は放置してしまった。

だって、「怒り」は小さかったし

そのときのわたしにとっては不都合だったから。

 

そういうわけで

その小さな「怒り」は、心の中でポツンと取り残されてしまったわけです。

 

あらまぁ、なんてこと!

ずっとBに怒ってたなんて!!

 

そっかぁ。怒ってたのかぁ。。

 

それがわかると、なんだか笑えてきたのです。

知らないまま抱えてきた「怒り」は

フワッとしゃぼん玉みたいに、空へのぼっていきました。

 

気づくと手放すことができたんです。

なんて清々しい!

 

Aはわたしの鏡だったんですね。

わたしの中の怒りを映し出してくれていた。

 

Aに感謝です。

 

 

 

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