このブログを始めてから
精神疾患がある方で線維筋痛症と診断された方を
知りました。
昔は、精神疾患からくる痛みは
線維筋痛症と診断されませんでした。
診察のたびに検査がありました。
以前、線維筋痛症の治療をしていたときは
一部(いや3分の1か)患者さんが意地悪で陰湿でしたが
現在接している、精神疾患があると思われる方は
これまで知っている患者さんたちと違う暗さを感じます。
サンプル数がとても少ないですし
専門知識のない
私の独断と偏見による予想であることを
ご了承ください。
まず1つめ。
精神疾患がある場合
何より先に
精神的な問題が客観的に見てよくわかる
ことです。
誰かへの怒りや憎しみを抱え
いい子でいて、誤魔化してきたけれど
感情が大爆発している
とか
痛いのや辛いのを
わかってよ~~
っていうのが、前面に出ています。
また、
「線維筋痛症です」
「難病です」
のアピールがすごい!
私は、同病の人と会話する時と
病院で痛みが伴う処置の場合だけ
アピールしますが
普段はできる限り隠していたいタイプです。
精神疾患が除外されていた時代の人は
痛くて辛いのはもちろんなんですが
こんなに主張しないです。
みんな一度は命を絶つことを
考えたことがある位辛かったとは思うのですが
会話の流れとして
「いつから痛いんですか」
「どこが痛いんですか」
という、身体的な話が最初です
(ポイント①-1)
その流れで
「いや、実は〇〇病院に行ったんだけど
先生が理解してくれなくて、ひどいことを言われて…
夜も眠れないほどの痛みがあって…」
「私も似たような経験がありますよ」
という感じで、共感のシーンで
ようやく辛かったという話になります。
そして、共感したら
辛かった話はそこで終わり。
だらだらその話はしない。
興味は、治療の話へ。
治療への取り組み方も、
身体的なアプローチがメインです。
結局、こころの部分に取り組まなければならないのですが
「こころって、何をやったらいいのかよくわからん」
と、心のアプローチは後になりがちな気がします。
一方、精神疾患がある方というのは
まず精神的なことのアピールがすごい!
(ポイント①-2)
とにかく、怒りに満ちている
こんなに痛くて辛いのに、
誰も分かってくれない
誰も何もしてくれない
〇〇(治療法)してみたらいいって言うけど
こんな状態じゃできない
など。
怒りに満ちているのですが
何か声を掛けようにも、専門家の協力が必要なレベルです。
痛くて辛いって、わかるんですけど
それがメインで、治りますか?
これを、発症初期ならともかく
何年もやってるんだから、前進する訳がない。
よって、治らないどころか
ストレスでますます痛くなるという悪循環。
わかって欲しい気持ちが強すぎて爆発しているので
それを解消させないと、治療に進めない感じ。
更に、根っからの他責思考。
誰かに治してもらおう・何かしてもらおう
という考えの人もいます。
「〇〇さんがしてたことを真似したら失敗した」
と、勝手に真似て失敗し、怒りをブログで発散。
しかも、人のせい。
○○した方がいいっていうけど、できない。
これもわかります。
今の私には早いとかできないとか
無理をしない判断も必要です。
でも、その治療法を教えてくれた人を恨んでいるかのように
「できないーー!無理強いするなーー!」
と感情を爆発させるのは違うと思います。
たぶん、誰も無理強いはしていないw
「私はできない」という
殻の外に無理やり出そうとした人は
おそらくいないはず。
殻の中か外を選ぶかはあくまで自分です。
まだ動き出す準備が整ってないなら、
誰かを攻撃したり闘ったりせずに
中にいればいいと思います。
たしかに私は治療に取り組む環境に恵まれていました。
家族の協力が得られました。
だからって、
そのことをネチネチ言われても仕方がないですし
他の人に
「私はそんなことができない環境だから」
という怒りをぶつけて何になるのでしょうか。
私は環境は恵まれていましたが
古い時代の患者ですので
線維筋痛症の情報がゼロ。
病名もあったかどうかあやしい
くらいの時期でしたので
情報には全く恵まれていませんでした。
(私が今「あなたは情報があって恵まれてますね。
私なんて情報がなくて苦労したんですよ…」
ってネチネチ言ったとしたら、
( ゚Д゚)ハァ? そんなこと言われても!ですよね。
みんな何かしらあるんじゃないでしょうか)
気が遠くなるくらい可能性の低いことまで
全部自分で試してやってきたので
そもそも、
ある程度の実績がある治療法を教えてもらえるだけ
ありがたい話だと思うのですが…
治療法が合わないなんてのは
私は何回もありましたし
これも他責思考ですね。
2つめ、精神疾患がある方って
気持ちが先にくるからか
めっちゃ無理をするんですよね(ポイント②-1)
え、その身体でそんなことするの!?
そんな無理をしてまで、そこに行くの!?
ってことを、本人がしたいからするんです。
精神疾患がない場合、
「痛くてできない…」とあきらめることのほうが
多いような気がします(ポイント②-2)
行動範囲を広げるにしても徐々にです。
精神疾患がある方は、
いきなり健常な人レベルのことを求める気がします。
3つめ、精神疾患のある方は
優劣と善悪にこだわる傾向が強い気がします
(ポイント③)
「私の方が痛い」という、謎の痛みマウントはよく聞きますが
あの患者は○○だから良くない
この患者さんはすごい人
という言葉の裏には
私の方が良い・優れている
という気持ちがびっしりこびりついていたりします。
方向性の違う患者さんを「悪」と見なし
「敵」が世の中に多いと感じている方も多い気がします。
「わかってくれない」という主張の裏には
「世の中が敵に見えている」っていうのもあると思います。
私も、「痛みは気のせいじゃ」とか言われたり
外で嫌な思いをしたら
そんな風に思ったことはありますし、
精神疾患がなくても、そんな理不尽な思いを抱えて
みんな生きていましたが
こんなに主張が強くなかった気がします。
少なくとも
患者さんと苦しみを共有したら
大切な仲間となりました。
貴重な情報を交換できるかもしれないし
何より、少数派の苦しみをわかりあえる
数少ない大切な仲間にマウントをとるなど
くだらん事をやっている暇はないw
このように
ポイント①~③に書いたようなことが前面に出てくるので
正直、
精神疾患のある方って
ど素人の私が見た感じですが
先に精神疾患をどうにかしないと
身体的アプローチに取り組めない
んじゃないかと思います。
私の予想が医学的に正しいかどうか知りませんが
こんな状態で、人の話も聞けないですし
精神状態が不安定では、痛みも増すばかり。
精神状態を安定させて
周囲から好かれる人になったほうが
協力も得やすいかもしれません。
精神疾患を除外した線維筋痛症の場合
運動を習慣化できれば、
ひとまず一番辛い状態の症状は和らぐと思うので
そこをスタートにするのがやりやすいと思います。
つまり、
最初は身体的アプローチが、手っ取り早いです。
でも、
精神疾患がある場合は
先に精神をどうにかする必要があるとしたら
(しかも強烈)
やっぱり
これまで(昔ながら)の治療方針である
「精神疾患の除外」をちゃんとして
精神疾患からの痛み
と
線維筋痛症
の住み分けをすべきではないでしょうか。
だって、この2つは全然違うと思います。
こころとからだの両方のアプローチが必要って言っても
精神疾患のある方って
こころのアプローチを自分でやるのは危険だったりして
専門家のサポートが必要ですよね。
ただの線維筋痛症は自分でやれる領域ですから、
必要な医療が、この時点で違いますよね。
精神疾患の無い方が
精神科で診断がついてしまった場合
不要にきつい薬を飲むことになって
あとあと大変かもしれませんね。
(聞いた話から、私が勝手に予想したことなので
合っているかはわかりませんが。)
聞いた話では
このような医療のミスマッチが起こる方へ
進んでしまっているらしいので
患者がしっかり病院(どの科を受診するか)を選び
賢くなる必要があるかもしれませんね。
精神疾患の有無に関わらず
客観性を持って物事を見られる方は
おそらく大丈夫だと思います。
改めて
※専門知識がない、いち患者のつぶやきであることを
ご了承ください※
私が一番伝えたいことです。