今日は、線維筋痛症患者として

ちょっとひねくれているかもしれない目線で書きます。

 

 

最近、

 

「健康が幸せの絶対条件」

 

みたいな内容の言葉をよく聞くんです。

 

 

 

健康のありがたみに気付いたり

体を大切にすることの重要性が

クローズアップされることは良い事なのですが

 

「私は幸せです!だって健康だし!」

 

と、深い意味なく

健康は幸せの象徴であるかのように言われた時

私は密かに傷つくことがあります。

 

 

だって、幸せ=健康 だとしたら

病気=不幸 ってことに思えたり

病気をしても前向きに生きているのに

それを否定された気になるんですよね泣くうさぎ

 

もちろん、相手は悪気無く言っているのだし

ある意味これは真実ですね。

 

 

でもでも、

私は、線維筋痛症のブログを書いている以上

その定義を採用するわけにはいきません。

 

 

私は、

 

痛くても、

いつも誰かを背負っているような重さと

疲労感を感じていても

 

ちゃんと幸せになりました。

健康なときよりも、段違いに。

 

 

 

もちろん、健康な方がパフォーマンスは上がるので

色々なことができますから

何かを成し遂げるという意味では

高い目標を達成できます。

 

でも

高みを目指すことと、幸せは、

必ずしもイコールではありません

 

 

身体的に辛くても、なぜ幸せになったかというと

線維筋痛症人生を通して自分が変わった

からなのです。

 

 

また、線維筋痛症になったことで

住む場所や仕事や生活が変わった場合、

そこでやるべきことが必ずあるはずなのです。

 

自分の人生を考えたり

一旦立ち止まって休憩したり

周りの人たちとの関係性を改善したり

人生のプランを見直したり

 

要は、自分の人生の糸が絡まっているのをほどいたり

人生の目標を誤解していたら

修正をしていくことで幸せになると思うのです。

 

それを線維筋痛症が「強力」にサポートしてくれます

 

 

 

だからある意味

自分の人生を誤解したまま

ずっと健康でガンガン進んだとしても

修正をしないことには

次の幸せには到達しないのです。多分。

 

 

もちろん健康に越したことはないのですが

線維筋痛症になって、

置かれた環境に意味があったりします

何より線維筋痛症になって、

自分の人生を見つめ直すことが幸せへの大きな鍵カギキラキラ

なのだと、私は個人的に考えています。

 

 

だから、線維筋痛症になって、

誰かから良かれと思って

「早く良くなってね、健康じゃないとね」

みたいに言われて、落ち込んだとしても

今は多分、

病気を通して幸せへのステップを順調に歩んでいるので

心配ご無用なのです。

良い人なんだけどちょっぴりお節介な、おばちゃんのこんな一言は

 

おばちゃんの愛だけ受け取って

セリフはさっさとゴミ箱に捨ててしまいましょう

 

 

 

とにかく、私がこのブログで一番言いたいことは

 

 

線維筋痛症=不幸

 

ではありません。

 

線維筋痛症になっても、十分幸せになれます。

 

完治していなくても、幸せになることはできます。

 

 

健康は、とても尊く、大切なものだし、

このブログを読んで下さっている方の

一日も早い健康を願っていますが

 

健康=幸せ

病気=不幸 とは限らない。

 

私は線維筋痛症になってからの方が

遥かに幸せでした。

 

 

ということを、一番訴えたいです。