線維筋痛症にならないようにするには

 

過去にこだわらないほうがいい

 

というようなことを読みました。

 

 

 

過去にこだわって

いつまでも怒り続けていたり

 

過去の自分にこだわって

今の自分を生きられなかったり

 

過去の不幸にこだわって

希望を持って前に進めなかったり

 

 

そういうことをやめると良い

ってことなのかな、と感じました。

 

 

 

ちなみに

ブロ友さんからも似たようなことを聞きまして

これは書いた方がいいのかなと感じたので

書きますね。

 

 

 

 

 

 

先ほど書いた理由により

線維筋痛症の痛みを軽減させるには

過去にこだわらないほうがいいですね。

 

過去にこだわることで

ストレスを感じ

痛みを自分で増加させてしまっている人が

沢山いそう…。

 

 

 

 

 

ブロ友さんもおっしゃってましたが

 

「大切なのは、今の自分」

 

ですよね。

 

 

 

これは、

今を大切にするってこともあるし

 

線維筋痛症で失ってしまったものに

いつまでも固執してても

前進できない

 

っていうこともありますね!

 

 

 

 

もう、昔の栄華は手放しましょう!

 

 

 

 

とは言っても、理論上はそうですが

大病をするってことは、

人生の転機ですので、

 

たぶん色々とデトックスの時期……。

 

山ほど嫌なことが浮かんでくるのが

セオリーだったりするので

どうしても過去にこだわっちゃう時期でもあるんですね。

 

 

 

じゃあ、

過去をどういう風に捉えればいいのってことですよね。

 

 

 

 

 

 

 

私の話になりますが

 

古いCDアルバムを引っ張り出して

ふんふんふん♪と鼻歌を歌いながら

料理をしていました。

 

 

すると、おっ!そういや思い出の曲だぜ!

という曲が流れました。

 

 

これはズバリふうこお得意の

しょっぱい恋愛の思い出なんですが

 

若い時に、とある男性からデートのお誘いがあって

 

「えー、万が一付き合おうって言われたらどうしよー

付き合うことになったらみんなびっくりするだろうなー

だって、彼ったら遊び人なのに、

結局ふうこと付き合うことにしたの?って皆驚くよね」

 

と浮足立っていたのですが

シンプルに遊び目的のお誘いだったガーンという

しょっぱい話です。

 

 

 

この話のポイントは

 

「遊び目的」(ネガティブポイント)

「彼は人気者」(ポジティブポイント)

 

です。

 

 

 

遊び目的で誘われるってことは

女性としてはというか

私の場合はかなり

「ギャフン」と言ってしまうほど

屈辱的です。

 

だから、

「騙されたわ!」

(ただデートしただけですが)

被害者の心境になることができます。

 

 

一方で

彼は人気者でしたので

私の自己顕示欲をかなり満たしてくれる存在

「ふふふ…。あんな目立つ人が私に声をかけてきたわ…。」

と、かなり根性悪く、

いい気分に浸ることもできます。

 

 

ですので、この曲を聞くと

 

「被害者意識」か「優越感に浸る」

 

という気持ちになりました。

(シンプルに楽しかったという気持ちもありましたが)

 

つまり、両極端なんですね。

(そして、どちらに転んでもあまり良い精神状態ではない)

 

 

 

ですが、先日ふんふんふん♪と鼻歌を歌っていたときは

とても穏やかな気持ちで

 

「あー、あの時楽しかったな♪」

 

って、思えました。

 

 

 

個人的には、この思い出し方は良かったです。

 

 

ポイントは

「穏やか」です。

 

 

 

穏やかに思い出せているってことは

 

「エゴ」「欲望」「優越感」「劣等感」

の類を手放し

 

その出来事のすべてを受け入れた上で

純粋に楽しかったと思えているんです。

 

 

 

これって、現在の自分を受け入れてるから

できることでもあると思うんですよね。

 

 

今の自分を

「どうせ、線維筋痛症になった私なんて…」

「昔は良かったのに…」

 

なんて卑下していたとしたら

 

 

過去の出来事を

「あの時は良かったな」

もしくは

「あいつのせいでこんな目に」

 

みたいな思い出し方をすることもありますよね。

 

 

 

線維筋痛症になると

色々、自分のネガティブな面を見ることになります。

 

 

これまでのポジティブな自分も、自分だけど

こんなにネガティブな自分も、自分なんです。

 

 

認めたくないけど、全部、自分です。

 

 

 

そんな自分を、時間をかけて

ひとつずつ、認め、許していくんです。

(おそらく、山ほどあります)

 

 

 

その先に

過去の出来事も、全て自分の一部で

かけがえのない、大切なものなんだ

と思える自分がいるはずですキラキラ

 

 

 

 

彼に

「遊びでしたら結構です」とやんわりお断りしたのですが

(実際にはこんなこと言った訳じゃないですけども)

 

それからは友人にもなりました。

 

でも始まりは男女としての意識があったので

お互いの心は

「男女関係7:友情3」

くらいな気がしますが

友人としての付き合いは楽しくできました。

 

 

 

白黒はっきりつけようとすると

遊び目的の男なんて、すっぱり縁、切っちゃえよ!

みたいなところもあるんですが

 

人生、そう白黒はっきりさせることが

いつでも必ずしも良いとは私は思わないですし

 

異性として意識した相手と

友人になれるっていうのも、

貴重な関係で私は大切に思っています。

 

 

 

 

このように、白黒はっきりさせずに

この出来事を捉えたことで

友人として楽しかったという

いい着地点を見つけられました。

 

 

 

 

昔の出来事を思いだして

めちゃくちゃ怒りがわいてくるとかだと

未消化である可能性があります。

 

 

 

その出来事から学びを抽出し

客観的に見つめたのち

成長した自分が穏やかに

そのことを思い出すことができたら

 

思い出を消化もしくは

昇華キラキラできたのかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

ハートのバルーン私が一番伝えたいことです。