今回の記事で

読者さんが半分になるかもしれないけど

気づいたことを書きたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

まず、最近の傾向ですが

精神疾患による痛みを

線維筋痛症と診断してしまったことの影響

だと思うのですが

 

 

まず、患者さんが

 

 

暗い!チーン

 

 

 

 

 

昔、私が治療中だったとき

一度会話した程度の人も含めると

数十人と交流がありましたが

 

昔も圧倒的に病んでるよねって人が数人いましたが

その人たちだって、

こんなにジメジメしてませんでした。

 

 

もちろん、今もジメジメした人は一部です。

 

 

 

 

 

 

このブログを始めてから交流があった方

数人いらっしゃるんですが

 

線維筋痛症じゃない方

おそらく精神疾患がないであろう線維筋痛症の方

 

っていうのは、

(こんな言い方は良くないですが)

 

まともに話ができるんですよね。

 

 

 

 

 

 

正直、

精神疾患があるであろう方と交流するのは

しんどさがあります。

 

 

 

というか

 

精神疾患の有無で判断するのは正確ではなく

(精神疾患がおありでも、

強い意志で治療をされている方も

いらっしゃると思うので)

 

 

 

 

精神疾患からくる痛みを持った人に

特徴的に見られるのが

 

 

  • 他責思考
  • マウント(他者より上だと言いたい)

 

 

です。

 

 

 

 

多分これ、

両方か片方持ち合わせていても

ご本人は自覚が無いと思います。

 

 

そして、ここに

特大ネガティブが絡んでくるので

本当、話を聞くのがしんどいです。

 

 

 

 

何度

「自主的かつポジティブにならないと始まらない」

と言っても、理解できていないし

理解出来ていたとしても、

ポジティブに戻る気配もない

です。

 

 

 

 

 

この要素、

実は昔は考える必要がありませんでした。

 

 

まず、診察の段階で

精神疾患がある人は

きっちり除外されていたことで

 

こんなに酷い他責思考で

マウントを取るような人は

一人もいませんでした。

 

 

いや、多少はあるかもしれませんが

患者さん同士の会話で

こんなことがメインではありませんでした。

 

 

 

 

 

そして、みなさん

命を絶つことを考えたことすら一度はあると思うんですが

 

昔はこんなネガティブなことを

いちいち、言わなかったです。

 

ネガティブなことを言う時は

「共感」のためであって

 

「うんうん、わかるよ、その痛み。

私だけじゃなかった。一緒に頑張ろう」

という感じであり

 

「私をわかって~~」

という、

わかってオバケなひとはいませんでしたおばけくん

 

 

 

 

当時の会話のメインは

「治療について」でした。

 

薬の話であったり

病気に対する考え方

運動は何がいいか

どうやったら社会復帰できるか

痛みがなくなるか

 

という、建設的な情報交換でした。

 

 

 

 

 

今のこの界隈のブログ

 

「線維筋痛症という病名の周知」

と言いながら

 

裏にあるのは

「こんなに辛い私をわかって!おばけくん

 

だったり

 

 

 

メインは

「いかに痛いか」という自慢と陶酔

 

 

 

 

そして、これが最もまずいと思うのですが

 

精神疾患の人に

「線維筋痛症という不治の病」

「自分をほめる」

という武器を与えてしまったことです。

 

 

これによって

甘えた患者が増加したものと思われます。

 

 

 

 

 

 

 

 

昔、患者さん同士でしていた会話では

「ウォーキングしてます。お互い頑張ろうね」

 

という感じがご挨拶の定番でした。

(必ず、どういう治療をしているかなど

プラスな情報交換が含まれていた

 

 

 

 

 

 

今って、すごい違和感があるのですが

根本的にとんちんかんなことをしてるか

(高額な水を飲むとか)

 

何も努力をしておらず

自主的な治療をしている状態に

到達していないのに

 

好き勝手に暴飲暴食、

楽しい事をして動いて

痛くて疲れてしんどい状態になった結果

 

 

「自分を褒める」

 

って言うんですよね。

 

 

 

 

昔も

「好きな事・楽しい事をすること」は推奨されていましたが

それについても

 

「痛みを気にしすぎず、動いてみる」

という

一種の認知行動療法的な「治療」がベースの話

 

それを患者さん友達と一緒にやってみたりもして

励ましあいながら、共に歩んできました。

 

 

 

ちなみに

「ふうこさんは若いから、絶対治るよ!」

 

という

励ましのお言葉を何人もの方からかけてもらい

その言霊は私の中でキラキラとポジティブに輝きキラキラ

そのエネルギーに後押しされてきました。

 

 

 

 

今って、「自分がいかに痛いか」

って話ばかりですよね。

 

 

 

 

加えて

「線維筋痛症が不治の病だから

仕方ないよね。でも頑張ってる私」

 

(何を頑張ってるの?というツッコミが必須)

 

みたいなことになって

建設的な行動、一切なし!

 

患者の質が、大幅に低下したことは、否めません。

 

 

 

 

 

しかも

マメにブログで発信するひとが

精神疾患ありな人が多いこともあって

 

かえって、この人たちが、世間に対する

線維筋痛症のイメージを下げてしまっているのが

困りものです。

 

 

 

 

多分

精神疾患なしの人で

一生懸命情報を集めていて、自分では発信していない

という人は多数いると思うんです。

 

昔の私がそうだったんですが

「どんだけ痛いか」って発信しても

病気が良くなるわけじゃないので

正直言って、

そんなことする労力がもったいない

という感じでした。

 

ですので、ひっそりと真剣に痛みに取り組んでいる方は、

見えないだけで沢山いらっしゃると思います。

 

 

 

 

 

今のこの残念な状態は

患者が悪いっていうより

一部の医者が、

精神疾患の人まで線維筋痛症の診断を付けたこと

による弊害なんですかね。

(すみません、この辺は聞いた話なので詳しくはわかりません)

 

 

 

 

精神疾患の人に

線維筋痛症の為に運動療法をがんばれ

健全な考え方をしましょう

って言っても

 

そもそも

気力がなかったり

精神が病んでる状態では厳しいのかもしれません。

 

 

 

 

私はリウマチ科で診て頂いて

血液検査では数値に異常がなかったため

そういう人が分類されるであろう

「脊椎関節炎」「線維筋痛症」

 

という2つの病名がつきました。

 

 

でもこれも

「原因不明だから、ここにぶちこんじゃえ!」

 

って適当に病名を付けた訳じゃないんですよね。

 

 

 

 

先生が、全身の圧痛点を押して調べてくださり

(これを一人一人にやるって、相当しんどいですよね…)

 

例えば同じ「ひじ」を押すにしても

数センチ違うだけで

「こっちが痛いと脊椎関節炎で、

こっちが痛いと線維筋痛症なんだよね」

と説明してくださりながら、判別していただきました。

 

 

 

 

それ以前に、当然

精神疾患がないか、

毎月検査をしていました。

 

用紙が10枚くらいあったのかな~

とにかくうんざりしましたが

今の状況を考えると

これがいかに重要だったのか、よくわかります。

 

 

 

 

私が見て頂いた先生はリウマチ科の先生ですが

このように、

「検査結果に出ない痛み」

という

「漠然としたもの」を正確に診断するために

 

診察の度の先生のご苦労、

この診断方法を確立された医師の方々のご苦労

 

があったことが推察されます。

 

 

 

それが

何でもかんでも線維筋痛症の診断をつけたことで

水の泡となり、医療現場に混乱を招いていそう…。

 

 

 

 

線維筋痛症という診断が適切ではない人が一定数いて

それは精神疾患からの痛みを持つパターンであり

 

自主的に治療に取り組むことができず

 

「線維筋痛症」という病名に

しがみつき、甘え、

 

なおかつ、治癒においては非効率なルートを辿って

かえって彷徨っている人が

増えちゃってそうな気がしています。

 

 

 

(精神疾患からくる痛みを線維筋痛症と診断されても

前向きに治療や人生の課題に取り組んでいる素晴らしい方も

多数いらっしゃるということは重々承知であることを

ご了承ください)

 

 

 

 

 

 

 

ハートのバルーン私が一番伝えたいことです。