最近、他責思考をはじめとする

あまりよろしくない患者のタイプについて書くことが多くなりました。

 

 

「ふうこって、偉そうね!」

「あんたなんかに私の気持ちなんてわかる訳がないわ!」

 

と、お怒りの方がいらっしゃるかはわかりませんが

どうしてこんなに、いつもこのネタで書けるかというと

 

私にもそんな時期があったからなんです。

 

 

 

 

しかも、

病名すらわからず、

お医者さんにも

あまりこの病名が知られてないであろう時期だったので

 

手探りで闇の中で生きているように感じられて

そんな時期は意外に長かったかもしれません。

 

……正直言うと昔のことすぎて

いつまで悲劇のヒロインやってたか覚えてませんがw

 

 

 

 

 

 

 

「闘病」って言葉が好きじゃない

 

って、ずっと言い続けていますが

それは根本が「闘う」ことであり

 

私は、病気と闘うことはあまり賢くない

個人的に考えています。

 

(これについてはたくさん書いてきました)

 

 

 

いつも言っている理由の他にもう一つ、

闘病にひそむ危険因子が

 

「酔いしれる」

 

ことです。

 

 

 

「線維筋痛症と闘う自分に陶酔」

 

する状態は、

かなり治癒から遠ざかると思います。

 

 

 

線維筋痛症と闘う自分が美化され

 

「線維筋痛症と闘っている状態」が肯定されるからです。

 

 

 

 

線維筋痛症の人って頑張り屋さんが多いので

 

「線維筋痛症の闘病で頑張ってるから

私は偉いよね。そのままでもいいよね」

 

みたいなことになっちゃうと思うんですよね。

 

(頑張ることが目的になりがち)

 

 

 

 

 

表向きは治りたいし

辛い症状から抜け出したいから

「喉から手が出るほど治りたい」

って思っているはずなのに

 

深層心理では、闘病している自分に酔いしれて

キツイ言い方ですが

ナルシストが入っているかもしれません。

 

 

 

散々、嫌な思いをしてきたかもしれません。

周囲の無理解に苦しんだかもしれません。

 

 

 

 

 

でもこの状態って

 

「周囲には理解されない」

「私は特別なんだ」

 

からの

 

右矢印「自分だけの世界にこもる」

右矢印「人の話・忠告を聞かない」

右矢印「同じような境遇のナルシストと共鳴」

右矢印「詐欺にあいやすい」

 

 

 

という、危険な状態に陥りやすいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

周囲の無理解も確かにあります。

 

理解されないレベルの痛みという事実もあります。

 

 

じゃあ、自分はどうしたらいいの?

ってことですが、

 

心、考え方、行動、生活が「健全である」

 

ことを指標にし

この状態を目指すことを個人的におすすめしたいです。

 

 

 

 

以前線維筋痛症の患者仲間さんから

「ふうこさんって健全な感じがする」

 

と言われました。

 

(患者さんに健全な雰囲気の方はほとんどいなくて

健全であることで、逆に周囲から浮いていたという

奇妙な状態でした)

 

 

 

 

最近は精神疾患からくる痛みも

線維筋痛症と診断されているからか

 

線維筋痛症界で

ますます不健全人口の割合は増えているし

強烈なキャラの人もいますよね。

 

 

 

こう言うと

「ふうこは精神疾患のこと、詳しくないから

偏見があるんじゃないの!?」

 

と思われるかもしれませんが

そうではありません。

 

確かに詳しくないっていうかほぼ知らないので

間違ったことを言っている可能性はありますが

偏見はありません。

 

 

 

 

実は

身内が精神科で治療していた時期がありました。

 

薬の副作用が酷く

家族もハラハラしていた時期がありましたが

 

「辛い」「わかってくれない」

とは一言も言わず、

淡々と治療を続けました。

 

 

もちろん

家族や周囲に八つ当たりすることは

ただの一度もありませんでした。

 

 

今は完治しており

とても朗らかで健全な精神状態です。

 

 

これを可能にしたのは本人が

正しい知識を身につけ、

客観性を持ち、

病気だからといって、誰かに当たり散らすことなく

淡々とやるべきことをやれた成果だと思います。

 

 

だから、精神疾患でも

自分次第で結果は大きく変わるものだと

身内をみていてよくわかりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

健全の何が良いかって

バランスが取れているのだと思うんですよね。

 

 

自分の意志があるけど、適度に人の意見も聞く余裕もあるとか。

 

 

 

 

酔いしれて悲劇のヒロインになっちゃうと

バランスが悪いですし

ネガティブな方へ向かいがちな気がします。

 

 

多分ですが

闘病に酔いしれている人で集まっても

あまり進歩はないかと思います。

 

 

 

 

そういう人の集まりに参加してしまうのなら

辛さで心にできた穴を誰かに埋めてほしい

っていう心理もあるかもしれません。

 

それには、人に埋めてもらうのではなく

いつも言っているように

自分を愛することが有効になってくるし

ネガティブに行かない強さと明るさが必要

かもしれません。

 

 

 

 

 

 

ちなみにタイトルの意味ですが

私が一番症状が酷く、ズタボロだったとき

 

母が

「私が病弱に産んでしまったからだね…」

 

と言ってくれたんです。

 

 

 

その時は

「そうかも。病弱に産まれたからだ」

 

と、自分の運命を呪ったりもしました。

 

 

 

その後10年以上もたってたどり着いた

漢方外来で

 

「う~ん、そんなに悪い状態じゃないんだよなぁ」

 

と、先生に首を傾げられました。

 

 

そんなに悪い状態じゃないということは

それまでの治療の成果が出ていたのかもしれませんが

生まれ持った体質のせいではないと思います。

 

 

 

 

 

今思うと、

生まれ持った体質のせいではなく

 

社会人としてのストレスが酷く

それをかわす術を知らなかったことから始まり

 

自分の食生活、生活習慣

心の在り方、考え方

 

そういったものが複合的に

自分の体を作ってしまっていました。

 

 

 

 

 

家族との生活で習慣になってしまったものもありますが

それを継続していたのは

あくまで自分。

 

悪いのは母ではなく、私でした。

 

 

 

 

線維筋痛症になった自分が悪い訳ではないので

自分を責める必要はないし、意味がない事です。

 

 

そうではなく

 

自分のしてきた習慣の何かが悪い

と認めてください

 

 

 

それをせず、

いつまでも誰かのせいだとか

神様が試練を与えただとか言ってても

 

結局他責思考から抜け出せません。

 

 

 

 

 

あくまで

自分がしてきたことの結果であり

場合によっては自業自得とも言えます。

 

 

運命的には線維筋痛症は

神様が与えたのではなく

 

生まれてくる前に、自分でやると決めてきた

の方が、私はしっくりきます。

 

 

 

だとしたら

 

自分でやると決めてきたのに

いつまでも不運に酔いしれ

誰かのせいにしてるなんて、

何かがずれていますね。

 

 

酔いしれることで目の前の課題から逃げ

状況が改善しないことを

「壮絶」なんて言って

いい気分になるなんて、もってのほかですw

 

 

 

※いつも試行錯誤しているけど

道が拓けなくて、もがいている人はいつか報われるはずです。

 

 

 

 

 

 

ハートのバルーン私が一番伝えたいことです。