最近、何故か昔の出来事を振り返る流れでした。

 

 

私は義務教育の時代が人生で一番辛く

 

実は、

線維筋痛症で死を考えた時期よりも

義務教育(特に中学時代)の方が、圧倒的に辛かったんです。

 

 

小学校も中学校も

卒業式で号泣していて、母から

 

「お母さん方から、『ふうこちゃん泣いてるね

学校生活、本当に楽しかったんだね』って言われたよ。」

 

 

と言われたのですが

それは真逆で

卒業が近づくにつれて、いじめや嫌がらせがひどくなり

 

毎日卒業までのカウントダウンを、一人指折り数えて

卒業式の時には

 

「これで、この地獄からおさらばできる!

誰にも頼らず、良く頑張ったね、自分!

義務教育という支配からの卒業!!」

 

みたいな、辛さから逃れられるうれし涙と

自分を労う感動の涙が溢れて止まらなかったのです爆笑卒業証書桜

 

 

 

 

とても嫌だったことの一つに

中学時代に、話したこともない成績の悪い不良男子に

受験間近のストレスをぶつけられていたんです。

 

私は

「高校は進学校に行くから、

こんな頭の悪い、素行の悪い奴が周りからいなくなれば、

もうこんな思いはしなくていい」

 

という、歪んだ価値観を持ってしまいました。

 

当然、成績と人間性は無関係だし、

原因はあっても人を見下すのは良くない無気力

 

 

これが、反骨精神となって次の世界へ大きく跳べた一方、

こういう考えを持ってしまったことで

線維筋痛症発症の火種となったと思います。

 

 

いくら自分が正しい行動をとっているつもりでも

歪んだ価値観や、負の感情を身につけると

心も体も苦しくなるのかもしれないですね。

 

そしていつだって、

それを手放すと決心・実行するのは自分!!

ですね。

 

 

 

 

さてさて、こんな出来事の他に

更に私は精神年齢が高い子供で

 

小学校から既に

「一部の教師は、教師としての自己満足の為に

何かをするが、生徒への配慮が欠けていることがある。」

 

と考えてしまい

ちょっと教師を見下しているところがありました。

(う~ん、生意気な小学生ですね驚きガーン

 

それに、今の時代では完全アウトの

セクハラロリコン教師も時々いて、

毎日すごく恐ろしかったので

「あんな奴ら、早く捕まればいいのに」

と小学生の頃からいつも思っていました。

 

 

 

 

最近ひょんなことから

卒業アルバムを見ることとなり、一通り見てみました。

 

 

小学校ともなると時代が古すぎて

「あれ、こんな部活、入ってたっけ?」

「え、私、生徒会に立候補してたっけ?

(残念ながら不人気のため落選)」

 

と、大きめの出来事も忘れていて

おばちゃんになった証拠なのか、

過去への執着が薄くなったことを感じました。

 

(新しい世界を経験すると、古い世界のことは忘れちゃいますね)

 

 

 

 

 

小学校のアルバムは、文集だとか

〇〇ランキングとかもあって

あえてじっくり読んでみました。

 

 

 

まず、セクハラ校長の「卒業生へ送る言葉」

を読んでみました。

すると、今の自分に響く言葉が書いてありました。

 

 

仲の良い男子がセクハラ教師に居残り勉強をさせられたものの

優しい一面があったという話を文集に書いていて

セクハラ教師にも、教師らしい良い一面があることを知りました。

 

 

また、特に思い入れがなかった担任の先生が

実は、私達クラスの生徒たちを愛してくれていたことも知りました。

 

 

修学旅行の写真のページを見たら

とても楽しそうな私の笑顔が沢山写っていました。

小学校の修学旅行は、本当に楽しくて

学校生活を通して、一番楽しかった出来事かもしれません。

 

 

ですが卒業間際には仲の良かった友人から

仲間外れにされたり、本当に苦しかったです。

(でも、私が甘えて調子に乗ったから悪かったのだと思います。

友人でも、甘えて図に乗れば、痛い目にあうと教えてもらいました)

 

 

だから、私は

「義務教育なんて、友達もいないし最悪!地獄!」

という思いが強かったのですが

 

意外だったのがクラスで投票して決まる

〇〇ランキングで、私、結構ランクインしていたんです。

 

 

クラスの端にいる、今でいう完全な

「陰キャ」タイプな私ですが

心底嫌われていたら、投票してもらえないよな~って思いました。

 

 

 

義務教育って

子供たちが未熟だから、嫌な思いをすることが多い世界かもしれません。

自覚がないだけで、私も誰かに嫌な思いをきっとさせてしまっています。

 

 

だから、その嫌なキツイ出来事にひきずられ

「義務教育最悪」って思ってきたけど

 

実は「楽しい思い出」や

「受けた愛」を忘れているだけで

良い事だって沢山あったんです。

 

 

人にもよるかもしれませんが

キツイ思い出の辛さが大きければ大きいほど

記憶が「きつかった」方にひきずられて

 

「悪い思い出」として記憶されやすいのかもしれません。

 

ということを、おばちゃんはしみじみと感じましたお茶

 

 

 

 

 

と、ここまでが前置きで(いつも前置きが長いわ!)

 

これって、線維筋痛症も一緒じゃないでしょうか。

 

 

痛すぎる・苦しすぎると

そっちの印象が強すぎて

 

周りがどれだけ愛して大切にしてくれているか

家族や大切な人と過ごす何気ない日常が

どれだけ楽しく大切な時間なのか

 

ということを忘れがち…。

 

痛くて集中力も散漫ですから、当然かもしれません。

 

 

 

すっごく痛くて、生きてるだけで精いっぱいで

それどころじゃないかもしれませんが

今ある幸せに、目を向けることを

ぜひ意識していただきたいです。

 

 

今の幸せは、今しかないので

「どーせ線維筋痛症なんだから、しくしく泣くうさぎ

という状態から心を静めて……

よーーーく、幸せを見つめてみてください。

 

きっと、何か見つかると思います。

 

 

 

 

嫌な出来事の登場人物も

意外に自分に愛を向けていてくれていたこと」

 

嫌な出来事そのもので

「自分が学びたかった何かを学べたという、

運命からの愛があったこと」

 

のどちらか(もしくは両方)

に気づくこともあるんじゃないかと思います。

 

(考えてもわからないときは、

苦しい思いをして無理に探そうとする必要はありません。

気づく必要があるなら、そのタイミングで気づくようにできています

 

 

 

 

これが

「憎しみ」から「愛」にひっくり返るキラキラ瞬間で

 

本当の意味で

「ひっくり返る」ということかと私は個人的に思います。

 

つまりは

私達はいつだって

運命から応援されていると気づきますキラキラ

 

線維筋痛症ですら、応援してくれているかもしれません。

 

 

 

 

だから、

今の状況を「悪い」と否定して「ひっくり返す」のではなく

思いもよらぬところで

実は自分が「愛されていた」こととか

周囲の「愛」に気づくことで

 

今の状況のまま

自分が見えてなかった「愛」に気づき

「愛が増えるハート」ことが、

本来の「ひっくり返る」なのかな、

と個人的に感じています。

 

 

 

 

私は、線維筋痛症人生を通して

歪んだ価値観に気付き、

家族や周囲からの愛に気付き

やりたいことをやる時間をもらい

 

人からも、

人生からも沢山の愛をもらいましたふんわりリボン

 

 

 

 

 

 

ハートのバルーン私が一番伝えたいことです。