今日の内容は、
本文は問題ないのですが、
前半の例えの話が
賛否両論ありそうな、言いにくいことを書いてみようと思います。
先日お悩み相談の番組を観ていたところ
意外にも一連の流れが
線維筋痛症にも通ずる気がしたので
このお悩み相談を例えに書いてみました。
言いにくいことではありますが、
このブログ、読んで下さってるのが
ほとんどがフォロワーさん
もしくはいつも読んで下さっている方な感じがするので
思い切っていってみます!
前半に不倫の内容が含まれているので、
不快な方はスルーして後半からどうぞ![]()
(ここから後半と書いてあります)
(実はこの記事を下書きしたのが1か月以上前で、
投稿を後回しにしているうちに、
余計に言いにくい世の中になってしまいました…)
↓お悩み相談の内容です。
相談者の女性は
W不倫の相手が突然亡くなってしまったことで
とてもショックを受けていらっしゃる様子でした。
相談者さんは、ショックな状態から抜け出せずにいたようですが
「あなたは悲劇のヒロインになっている」
ということを言われて、はっとして
ご主人への不満を、周囲や他にぶつけていたことに気づき
お子さんのために頑張ろうと思われたようでした。
この番組内では言われていない、私個人の意見ですが
「人を愛する」ことそのものが
「悪い」「罪」な訳ではないと思います。
「不倫」を分解してみますと
「誰かを愛している」
「家庭がある」
という二つの条件が重なっていて
単独で見ると当然
「誰かを愛している」ことも
「家庭がある」ことも、
どちらも悪くないですよね。
2つの条件が重なって、
誰かを愛してしまったけども
お互いに家庭があったりお子さんがいることで
周囲との兼ね合いと、社会のルールにおいては
「都合が悪い」状態なだけのことで
「愛」単体が「悪い」「罪」ではないと思うのです。
結果的に周囲のことを考えて
その愛を胸にしまったとしても、
「私が悪い」「この愛は罪だ」と思って生きるのと
その人を愛せたことを
「素敵な思い出」として胸にしまうのは、
「胸にしまう」という決断が一緒でも
少しの差ではなく、雲泥の差なのです。
それは
「自分の素直な気持ちを肯定している」
「自分を責めていない」からです。
自分が人を愛したことは肯定して(否定せず)
周囲のことを考えて、節度をもった行動をとるのが
大人としてベストなのかなぁ、なんて思います。
(自分勝手に振る舞い、都合よく肯定するのとは違います)
そして、相談者の方は
根本の原因(ご主人に不満を伝えきれなかったこと)に気付き
現状を踏まえて、お子さんのために頑張る決意をされました。
(ここから後半)
これを、線維筋痛症に置き換えてみます。
線維筋痛症になると
様々な一般的なレールから外れたことなどに
自信喪失するかもしれません。
身体的に無理な状態なら
レールから外れて生きていくしかなくて
(レールから外れると色々都合が悪いように感じますよね)
「レールから外れた自分が悪い」
「病気になった自分が悪い」
と思って生き続けるのは、かなり辛いですよね…![]()
でも
病気になった自分が
「悪い」「罪」な訳ではないので
病気になった自分を責めずにいたいですよね。
できることなら
病気になったことで、のんびりと過ごせたり
自分を見つめ直したり、家族と過ごした時間を
「肯定」できたら、
病気の時期を良い思い出にし、
楽しく振り返ることができるかもしれません![]()
そして、
症状が強く出ているときに
「悲劇のヒロイン」になりがちなんですが
いくら
「病気のせいで」とか、病気を「恨んだり」しても
事態は何も変わらないのです。
多分
根本的なところは
自分の生き方や生活習慣によって
無理を強いられた体の悲鳴を聞くこと
など、
自分を見つめることだと思います。
そして、線維筋痛症や日々の出来事を通して
変わった自分
が、
そのときに置かれた環境に応じて
前向きに生きる決意をする![]()
![]()
ことが大事になると思います。
(完治してなくても、あまり治った気がしなくても
ちゃんと自分の心に向き合い、真実に気づけたなら
新しい現実がやってくると思いますので
あまり「完治」にこだわりすぎず、
日々前進するのが個人的におすすめです)
私が一番伝えたいことです。
