半年ほど前 ブログを通じてお付き合いが始まった 墨絵画家 のっぽさん(リンクあり)
の展示会が 国府津で始まりました。
ダム建設のために湖底に沈んだ生まれ故郷 山北町三保地区の様子を描き続けているのっぽさんの代表作は 神奈川県無形文化財に指定されている «世附(よづく)の百万遍念仏»の«ひょっとこ踊り
»です。
※現在は 山北町向原地区の能安寺で2月Ⅰ5日~17日に開催
(詳細は こちらから )
会場は 国府津駅から 国道1号線
を小田原方面に徒歩
5分の海側
«Charkhafe - チャルカフェ»(元 ちえのわハウス)さんの2階です。
会場には のっぽさんが子供時代を過ごした当時から 現在までの風景24作品が 時代を追って展示されています。
«田ノ入道祖神»
«落合館»は のっぽさんが生まれ育ったご実家です。
私が惹きつけられた風景は «落合にあった三保駐在所»。
入り口の右側に掛かっている看板には «少年相談所»の文字・・・。
会場内には 古いアルバムが置かれ ダム
建設が決定されてから出来上がるまでの集落の様子が記録されたビデオ
も放映されています。
のっぽさんの作品、白と黒で描かれた世界なのに じっと見ていると 色が浮かんでくるように思うのは 何故でしょうね。
私自身が作るものは 布が材料のため 色を混ぜたり 暈したりする事ができず 数えきれないほど沢山の色を持つ布を組み合わせて描いていきます。
白と黒の濃淡のみで 色や明暗が想像できたり 力強さや 優しさまでも感じさせる作品は のっぽさんのお穏やかな笑顔の奥に見え隠れする優しさや強さ お人柄までもが伺えるような作品でした。
10年後 私ものっぽさんの年齢になった時に こんなふうな作品が作れるだろうか・・・・。
そして 今回もう1つ嬉しかった事・・・・。
三保ダムに沈んだ集落の奥 そこは高校時代の同級生 かっちゃんの家
があった場所でした。(地図の上の方)
高校3年時 私のクラスは 選択科目の関係で 国立大や専門学校をを受験する子 就職希望者等 少数派の寄せ集めクラスでした。
そのため クラス編成が終わって蓋を開けてみると 牛乳瓶の底のような眼鏡
をかけたガリ勉君
が数名と ボンタン・学ラン
・リーゼント
と三拍子揃ったツッパリ兄ちゃん
多数 ある意味 問題児
と呼ばれた個性派揃いの中に 女子が数名加わりました。
ヤンチャがすぎて 自宅学習(フツ~に言えば«停学処分»・・・)を繰りかえたメンバーが多く 担任のなり手がなかったそうです。
そこに名乗りをあげてくれたのは 体育の先生でした。
案の定 我がクラスのテストの平均点は 毎回 全教科 3年生9クラスの中で ダン突ビリ
でもね 何故かまとまりだけは良く 勉強以外の賞状が貰える行事に関しては 燃えるんです
。
球技大会・合唱大会
・体育祭
・・・ 全て賞
は総なめでした。
賞をとるたび 先生は
「明日の体育の授業は無し
音楽室を抑えたから 宴会するぞ
」
と習い始めた三味線持参。
クラス全員で 歌って踊って1時間限りのパーティー
でした。
今の時代では 考えられませんが パワーを良からぬ方向へ向かわせないようにと考えた 先生の苦肉の策だったんでしょうね・・・・。
そんなある日 登校すると いつも騒々しい教室の様子が静まり返っていました。
耳にしたのは 「かっちゃんが死んだ・・・」の知らせ・・・・。
交通の便が悪いため ふだん学校の近くに下宿していたカッちゃんは 週末に三保の自宅に帰る途中 交通事故で帰らぬ人になりました。
建築中だった三保ダムの山道を バスをチャーターして クラス全員で別れを告げに行った事 バスの窓から見えた風景を 40年近くたった今でも鮮明に覚えています。
山間に小さな集落が点在していた事もあり かっちゃんの事 のっぽさんもご存知でした。
偶然ブログで知り合った方が 同級生を知っていたなんて とても不思議なめぐり合わせです。
のっぽさんの描いた山道や 学校の絵。
ここはかっちゃんも過ごした場所。
«三保の学校»
かっちゃんのヤンチャな笑顔 絵の中に重ねて見えるようでした
のっぽさん «三保の故郷»の絵を描いてくださって ありがとう・・・・
«湖底に沈んだ三保のふるさと展»は 29日(月)までです。