先日、滋賀県立「安土城考古博物館」(近江八幡市)を久し振りに訪れ、企画展を見て回りました。
場所的には、安土城跡の東方すぐ近くの、観音寺城跡の繖山(432m)麓に立地します。
⇧ 安土城考古博物館 ⇧ 安土城天守 信長の館
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安土城考古博物館
正面
企画展:R6年度春期特別展「稀品・逸品ー滋賀県出土の指定文化財を中心に」
(2024.04/27 ~ 05/26)
<主な展示>
A. 旧石器時代・縄文時代………石器、土偶、大珠、土面…等
B. 弥生時代………銅鐸、木偶、石器、土器…等
C. 古墳時代………銅鏡、祭祀関連、武器・武具、須恵器…等
D. 古代………木簡、瓦、塑像、釉陶器…等
E. 中世………蔵骨器、巡礼札…等
F. 近世………陶製経筒外容器…等
琵琶湖畔に住まいした、古の人々の生活臭を漂わせる発掘遺物に強い関心を抱きます。
なので、これまでにも各所で似たような企画展が催されると極力訪れるようにしています。
お目当ては、相谷熊原遺跡出土のとても小さな「土偶」(女人)。
久しぶりの再会になります。
種々の銅鐸にも関心があります。
当日勉強させて頂いた展示物と、その展示物から連想を膨らませた過去の展示会の展示情報を自己流に組合わせながら、振り返ってみました。
1. 土偶(相谷熊原遺跡:東近江市)
国内最古級の土偶。13000年前。高さ3.1cm、重さ14.6g。
この土偶、『縄文のビーナス』とか、『将来は国宝級…』とも評されているとか…
1万年以上も昔の縄文時代に、この琵琶湖畔で、このような土偶を造る人々が住み、使う行事があったンですよ。 すごいですよねぇ、わくわくします。
そして何より、とても小型ながらも、この無駄のないシンプルで柔らかいフォルム…にとても惹かれます。
1万年以上も昔の人々のとても優れた芸術的センスに脱帽…です。
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でも、今回、久しぶりに対面した第一印象は、「あれっ? これ…? うぅーん どこかヘン…?」でした。
土偶が随分黒っぽくて、記憶の土偶のイメージとフィットしないンです。
過去写真を探してみました。
ありました。
「埋蔵文化館」(2023年7月)と「能登川博物館」(2020.10.)での公開展示の写真です。
この時はよく似た色調でした…
埋蔵文化館 企画展(2023.07.) この時は白っぽい…でしょ?
この間に、保存処理とか保存中に何かの影響を受けたのかも…
2. 銅鐸(大岩山遺跡:野洲市)
今回、当博物館所有の重文指定銅鐸10個が陳列されていました。
当時の銅鐸の用途は、現在でも定かではないようですね。
滋賀県野洲市の大岩山山麓で、多くのの銅鐸(弥生時代)が2度に分けて、最初は1881(明治14)年に14個、2度目は1962(昭和37)年に10個、合計24個も発掘されました。
しかも、大岩山遺跡からは日本最大の銅鐸(高さ134.7cm)が含まれています。
日本最小の銅鐸(高さ3.4cm)も、滋賀県の下鈎遺跡(栗東市)から発掘されています。
日本最大銅鐸と最小銅鐸(左下隅:下鈎遺跡)
銅鐸博物館 「銅鐸―日本最大銅鐸の里帰り―」展(2013年6月)
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(拡大)
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<経緯>(今回は解説ナシでしたが、記憶を辿りながら…)
明治期の発見当時は、埋蔵物は個人所有厳禁、届け出るべしとの慣れない通達が発布されていて、巨大銅鐸を発見した村民は扱いに戸惑い、届けられた村役人も扱いに困り、中央にお伺いを立てると、結局国の預かりとなり、現在、日本最大銅鐸は国立博物館所有物となっているそうです。 ザンネン……
今回の会場では、その発見当時の現場写真が掲示されていて、少々感動…でした。
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現在(銅鐸博物館の近く)
3. 銅鏡 (雪野山古墳:東近江市)
三角縁四神四獣鏡
4. その他
刻書 須恵器 (桜生7号墳:野洲市)
*横穴式石室を埋葬部にもつ円墳で、文字が刻まれた土器は横穴式石室の入り口付近で出土。
「此者○○首○○」と読めるらしい…
企画展示室