先日、関東にお住まいの女性と非二元のプライベートセッションをやりました。
その時、彼女は自分の目の前に何人かの人がいると、「自分はその人たちから見られている」と強く感じ、それによって緊張が起こるので、それをなんとかしたいと伝えてくれました。
これは何も、彼女個人の問題ではなく、誰もが同じように条件付けられていて、誰かと向き合った瞬間に、相手(私ではない誰か)を見ている「私」と、私を見つめている「相手」がいて、この両者は共に思考によって無意識のうちにつくり出されたイメージであって、この二つのイメージが「私」と「私ではない誰か」との分離感(二元性)を生み出し、相手から切り離されて私は存在しているというその孤立感から、お互いに緊張を感じながら向き合うことになる。
これがこれまでの教育などによって無意識のうちに私たちが条件付けられてきた誰もが共通に感じている分離感、孤立感、緊張感であり、これを個人的な問題や悩みとして抱え込んだり、この問題を克服しようと、誰かから何かを学んで取り組む必要はありません。
なぜなら、思考によるイメージづくりのプロセスを自分で気づけるようになると、「私」と「私ではない誰か」との心理的隔たり(分離感)をつくりだしていたイメージは消えてなくなり、「見ること」と「見えているもの」は別物ではないことを、はっきり知覚できるようになるからです。
そして、その時、緊張をなんとか克服しよう、コントロールしようとしてきた努力は、もはや無用の長物となります。
次回、10月1日(日)オンライン開催の講話会「目覚めを生きる」では、上記のような「観察者」と「観察されるもの」の分離のなさに加え、「話し手(スピーカー)」と「聞き手(リスナー)」の分離のなさ(別々に存在していない事実)を皆さんと一緒に掘り下げていく予定です。
