ポジティブ思考が心を消耗させる訳 | 非二元|自分を見失わず幸福に生きる「技と知」

非二元|自分を見失わず幸福に生きる「技と知」

より多くのお金を求めて働く貨幣経済の中で、自分らしく輝きながら、他者と共に幸福に生きる「技と知」を、ライフコーチの矢沢大輔が提案。

自分の思考をネガティブなものからポジティブなものに変えれば、人生が好転し始める。む


こういう考えのことを、「ポジティブ思考」「「ポジティブシンキング」といって、長くもてはやされた時代がありました。

もしかすると、今もこのような考え(思考)を信じて、日夜、自分の思考の内容(ポジティブなものか、ネガティブなものか)をチェックし、ネガティブなものだと判定されたなら、直ちにポジティブな考えに置き換えようと苦心され、心だけでなく体までヘトヘトに疲れ切った人がいるかもしれません。

そもそも、なぜ、このような考えを信じ込む人が多いかというと、「思考」とその思考をつくり出している「思考者(主体)」が別々に存在している、という二元性(デュアリティ)の思考を疑うことなく信じ込んでいるからです。

思考(考え)をつくり出しているのは、思考する主体である私、つまり、私とは思考者である。

だから、ネガティブな考えが思い浮かぶことなく、すべてポジティブな考えに変換できた日には、人生は問題なくうまくいくはず。

要は、思考を生み出している思考者は、思考のみならず、人生をも自由自在にコントロールできる主体である、と思い込まれているわけです。

そして、ここには、思考こそが、人生の良し悪し(ポジティブか、ネガティブか)を決するという思考崇拝主義が、大前提として組み込まれています。

しかし、注意深く、思考の動きに気づいていると、たとえば、「私の人生は、なぜいつまでも満たされないのだろう」という内容の思考Aが思い浮かび、その直後に「思考Aはネガティブだ」という内容の思考Bが思い浮かび、その直後に「思考Aではなく、もっとポジティブな思考が浮かぶようになれば、私の人生はきっとうまく回り出すはず」という内容の思考Cが出てきて、さらに思考D、E、F…という具合に、果てしなく思考のおしゃべり(思考の一人芝居)が繰り返されていること。

そして、この思考のプロセスに気づいていると、思考と思考者は、別々のものではなく、ポジティブな考えであれ、ネガティブな考えであれ、なんらかの考えが浮かんできても、思考者は存在しないこと。
「思考する主体(思考者)がいるから、思考がつくり出される」というこの説明さえも思考Xであり、思考はあっても、思考者がいるわけではないことを理解できるようになります。

そして、思考によって人生の問題を解決しようと試みても、けっして問題解決には至れないこともわかるようになります。

しかし、この文章の書き手である私は、ここで思考を否定しているわけではありません。


思考のもとになっている言葉やイメージがなければ、私はこうして言葉による記述(説明)を用いて「思考者がいるから、思考があるのではない」ことを読者の皆さんにお伝えできなくなるからです。

つまり、思考には思考にしかできない役目がある、ということです。

話をもとに戻すと、「思考者」と「思考」は別々のものだと主張しているのは思考であって、思考が「思考者」と「思考」とを二元対立させ、思考者と思考の終わりなき葛藤(一人相撲)を繰り返し、心は自らのエネルギーを消耗し、疲れ果ててしまう。

この事実が深く理解されると、思考をコントロールしようとする愚かさはなくなり、思考によっては辿り着けない智慧が現れます。

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